いい教師

自由に生きるために、一番適した形が教師じゃないかな。自分一人で仕事ができるし。上司がいないのがいい。

社会経験のない大学生に、子供たちの教育がまともにこなせるのか。という話の中で、教師は一種の職人みたいなものだから、それでもいいんじゃないの。社会経験自体が、それほど必要不可欠ではないのだ。それよりも10年ひたすら勉強し続けてきた英語力に助けられる。生徒は先生に、実力がなければそのことを見抜き、好き勝手をするようになる。先生に力がなければそれがひとりふたりと増えていってダメになるから、そういう不安と努力を常に持ち続けなければならないんやて。英語の勉強それ自体は、自分が海外で楽しむためにも必要やから、苦じゃないし、向いてはいないか。

教師にもいろいろあって、ミスをしても自分が悪かったとギャグにしてまう教師もいれば、生意気だと起こる先生もいるらしい。そういう、根拠のない生意気だとか立場とかが嫌いだから、そこまでずれた発言は出てこないと思う。いい教師になれるかはわからんが、そこまでひどくもなんないんじゃないかなー。

とにもかくにも理屈で物事を進められるみたい。無茶苦茶な要求がない。顧問なんか、別にいくらでもやるぜい。時間なんかなくったって、生徒がいればそれでいいんじゃないかな。どうやろか。

教師はストレスがたまる。飲み会で一番ひどくなるのが公務員と教師なんだ。日頃の苦労が伺える。アホな親、職場関係、生意気な生徒。俺、そこらへんやりくりするの得意やで。
自分は自分の考えを持っていていい限り、そこらへん乗り切るの得意。企業へいくと、意見が正しいかどうかじゃなくて成果が出るかどうか、出せてるかどうか、でない限り口きくなってなってて、そうなると逃げ場なくなって息苦しい。逃げ場ゆうか、なんかそんなめちゃくちゃ、ついていけへんで。


親と対立して摘発されたとしても、経過として正しければめちゃくちゃにはならんやろ。おそらく。対立なんかせえへんとは思うけれど。

パトリス・ジュリアンが言うように、生活をアートとして生きたいのだ。調和のある生活。品よくいきたい。