教育

しばけ!!子どもしばけえええ!!!

大阪や京都だと、殴れるもんなら殴ってみい!!お前クビやぞ!!て言われるらしいです。
反対に、生徒による暴力事件が少ない鹿児島とかだと、親は先生を先生様、などと呼ぶこともあり、先生の権限が大きく、また信頼も高いです。体罰もあります。

思えば、大阪では教師は馬鹿にされています。親がそうなのです。なので、子も教師を舐めはじめる。
ほかに、今親になっている世代が中学生だった頃が、最も荒れていた時代に当たるらしいのです。お父さんが中学の時も荒れてたよ、と荒れの隔世遺伝ではないか、という説もあるらしいです。

小学生は荒れない。高校も荒れない。しかし中学は荒れる。なぜだ?
一つに地域の雰囲気、経済状況。学力差。成長期のアンバランス。ほかにも、角度を変えて、よくもまあ色々言えたもんだね。すごいわ。感心する。ノート見直しなさいね。



教師の体罰が全面廃止され、教師の持つ規制力が弱まる。生徒が荒れる。信用がなくなる。ますます弱まりさらに荒れる。悪循環が出来てしまう!!
暴力、本当にダメですか?力があれば食い止められた、生徒の非行傾向を、みすみす逃すことになっちゃいませんか?暴力はダメだという盲目のために、救えたはずの可能性を殺してしまってはいませんか?

生徒は、とくに幼い生徒は動物です。群れを作る動物です。動物は上下に従って群れを作る。
動物というと言葉がキツイか。ようはこういうことです。この先生なら、いうこと聞かなくても大丈夫そうだな。こう判断されると授業はもう成り立ちません。子どもはそういう判断を、シビアにやっています。

なめられてはダメなのです。教師は指導という責任を負う、責任があるから権利があり、その立場は生徒より上でなくてはならないのです。先生のいうことは、聞くのです。この原則が崩れると、クラス経営はうまく行きません。


でもあんまり無制限にボコスカ殴る教師も困る。力には責任が伴う。が、実際には適切に力の使える人ばかりとはいかない。暴力の横行からの反省のすえに出来た、体罰規制。ただ復活されるのはうまくない。
生徒を殴ったら、先生も殴られる。親か、同僚。そのこと覚悟で生徒を殴るとか、それか給料を引くとか。先生は、あんまり怒らせないでくれって言う。しかし怒らなければならない時は来る。怒る。身を切ることになる。


うん、いい感じだな。手放しの暴力だからダメなんだ。しかし、体罰は必要だ。
そもそも、教育自体が迫害みたいなもんじゃないか。何の価値観も持たない子どもに、社会が都合のいいように価値観を植え付ける。それが教育なんだ。根幹からエゴなんだ。

躾なんだ。動物に芸を教えるのと同じ。
暴力ゼロってのがそもそもおかしい。何でゼロなんだ。暴力をしないのは、暴力を恐るからでしょう。暴力を知るからこそ、規制が働く。なんで教師から、生徒に暴力を教える機会を、でたらめに奪ってしまうのか。
確かに教師の暴力は行き過ぎた。生徒圧死事件。ひどい。


だからと言って全面廃止はおかしいだろうよ。本来教育から立ち直るはずだった生徒の、更生の可能性を奪っているのだ。まだ自己決定には早いだろう。大人のいいと思うものを、子どもにしっかり押し付ける。これでまずはいいと思う。そこに、子供の側からの大人に対する理解があればなおいいけれど。
少なくとも、暴力事件とかずっとバイクとか、そんなんよりは。


んで、たまに教師の暴力をきっかけに教師が殺されたりな。そんなんでいいよ。事故やでそれは。殴ったあとの、アフターケアが足りないの。生徒の理解を仰がずに、ボコスカ殴ってるからそうなる。それに、そこまで、殺されるまでに至るような指導しかできてなかったんだ。まず生徒に、教育の必要性を、自分が納得できる形、上っ面じゃなく、を飲み込ませる努力をする。殴ったあとは、どうしてそれが殴られる現象なのか、噛んで含ませる。生徒のためを思っての行為であることを納得させる。納得しないにしても、説明もなく高圧的に、とか、理不尽をしなければ殺されるという理不尽にまでは行かないんじゃないか。

それでもたまたま虫の居所が悪い悪いこともあるだろう。先生は殺される。これは事故。それでも、全体の暴力事件率が下がるのであれば、それでいいじゃん。人生ってそんなもんやし、殺されるリスクを背負ってまでやってる教師、として教師の世間的地位が上がったりね。するかもね。殴るから生徒もめちゃくちゃはしなくなってるしな。教師もいたずらに殴るとどんどん殴られる、もしくは給料が減ってって痛い目見るし。