最近いろいろよくわからないこと

教育の比較社会学を読んでいる。あまり読み込めないが、普段考えつかないことを考えるきっかけにはなって面白い。
武士の家計簿を、買ったので読んでいる。どういう知識が、考えを支えることになるかはわからない。案外こういう種類の読書に役立つ知識があるんだ、と思って読んでる。最近も、中学生の時見栄で読んだ、進化しすぎた脳の知識が大学講義で話されて、わあ!と思ったところだ。

教育効果を高めたいのなら、何でもいい学校増やせ。クラスを半分にしろ。種類も増やせ。もっと金をかけろ。人材を出すための、根本のところだぞ。金はここにつぎ込むべきだろ。わけわからんおっさんの娯楽とかじゃなくてさあ。

こんな知識を、使うことはあるんだろうか。それに話が大きすぎる。頭がぼんやりとしてくる。簡単なこともわかってないみたいに感じる。最近、前までわかってたこともよくわからなくなってきている。昔はいいものはいいものだとわかったし、それを目指して行動してた。今は何となく動き、なあなあに生きてる気がする。頭のよさが、あんまりない。

いろんなことを、一気に知ったからかな。大学での知識、こうも言えるこうも言えるとたくさん知らされた。自分が、頭いいと感じる場面が減った。みんな俺よりできる。昔は周りがアホだったから、その答えを考えて満足してただけ?
それとも、昔は本当に難しい問題を知らなかっただけだろうか。簡単な問題にしか触れてこなかった。ちょっと難しい問題であっても、もう答えが出ていて、わかりやすいまとめもコミで教えられていたのだ。

今、教育の最先端にいる。みんなが答えを求めて、必死だ。わかりやすい見取り図などまだない。ここで求められる頭のよさは、これまでの飲み込みのよさとは別物だ。本質を考え、大きさを考え。


それとも知識ばかりか増えて、経験がないから知識の落とし所がわからなくなっているのかしら。先生をやったら、やることは決まってくる。今よりもっと具体的に、これとこれとこれとこれを上手くしたい、と目標が与えられる。目の前に課題がある。それを解決するのは俺だ。今やってる教育問題みたいに、大学教授や自治体、政治家のこと、社会のことを考える必要はなくなる。もっとわかりやすい世界だ。ここでうまくやっていくための知識だけでいい。

それとも、時間が足りないのか。問題意識を形成しつつあるのが今で、答えが見つかるのはもっと先だろうか。あとで振り返って、わかるようになる疑問?

人間関係がわからない。頭がいいということがわからない。教育問題は、委員会で話し合う、生徒で話し合うのでは答えが出ない、なぜならわかってないからだ部外者だからだという結論が出てしまっているから、わからないのかな。みんなはもっとわかってるのかな。そもそも、学生の意見を、推測を発表する授業に意味はあるのかな。意味はないにしても、俺より上手に意見を発表するあいつには俺は劣るのか。しかし現場で求められるのは、大きな水量ではなくて、こんな授業で扱う、やる考え方ではないんだ、ていうのは逃げな気がする。負けは負けだし、学校でも推量能力は必要だ。

あ、ちがう。学校だったらアイデアは必要だけど、失敗はすぐ結果になる。頭だけだと答えが出ないことも、すぐに結果に出てくるんだ。塾講師をやってれば、塾講師ができるという自信と、経験から問題をもっとうまく捉えれたり、思考がクリアだったりするのかな。

全部を全部頭で捉えてる今と違って、塾講師をしてれば経験も交えて考えられるし、自信があるからうまく考えをつなげられるのかな。期待しすぎだと思う、結果も曖昧に出てくるだろうし分析力は必要だ。

考える必要がある、時期なんだ。考えよう、何がわかって何がわからないのか。最近つめこみ勉強が多いんだ。普段の勉強がうまくいってると考えれば嬉しいことだけど。頭のいい人の話を聞く必要があるな。例えば村上春樹の、物事の捉え方、考え方まとめ方を学ぶのだ。

自分は物事の本質、要点を端的に考えまとめる力があるとおもっていた。あると思う。ないと嫌だ。学力の向上は、俺はできると思うところから始まる。俺は頭がいいんだ。そう思うことから、頭がいいことは始まる。