宮崎駿 出発点、企画 オーシャンズイレブン いいものを知ることが上達

物語をつくるにあたって、どういう点に注意を払っているのか、大事なもんは何か。どういう構造を作ることが多いのか。構造を作るためには、など参考になる考え、手段を多く読んだ。読む前と読んだあとでは、物事への取り組みが別物と言っていい。やっぱり上達のためには、好例を多く知っていくことが必要だろう。

とはいえ、いざ物語を作ったとして、まずうまくいかない。何も知らない素人同士だと、多少取り組み、まとまりに差が出るとしても、どちらもひとくくり、素人である。
素人とプロを分けるもの、プロとまで言わずとも、実力のあるなしを分けるのは経験だと思う。よって、作品を下手で、発表する場がいる。

本当に絵を望むなら、本場仕事場に行くのが本格的でいいかというと、技術は得られるだろうが、よい核は得られない。得られないどころか、下手な核を表現する場がすら、だいぶと遠い。今やアニメは多発され、人の目は肥えた。昔であれば、平均が下手な中では、すこしの光るものを武器に作品の発表が可能だったが、今は超えるべきハードルが開拓と共に増え、出発までが遠い。そして出発までの道のりのなか、不本意な多くの作業があって。

自費出版、タダ出版が一番いい。プロを目指す、作品の質を目指すにしても、趣味の範囲から始めたほうがいいんでないかね。現場に出ても、その場の業務に流されがちだというし。

趣味で始める場合、ひとりコツコツ、誰とも情報共有することなく一人宝石をつかもうとする。そういう人は、宝石があるらしいという噂すら聞くことなく終わる。環境も含めて実力だと思う。

オーシャンズイレブンで、あの劇が可能だったのはひとえに人脈ゆえ。人脈はボーナスポイント、vip待遇である。何をするにも、まず人材だと思う。オーシャンズの作戦の質をガシガシとあげられたのは、一人一人が極限で、計算として単純になったから。やる気なしは戦力にムラがあって、失敗が起こりやすい。そのための保険をかけ、質が下がる。それがない。

オーシャンズイレブンの作中での、無言の会話がかっこいい。あと、噴水のところにみんなが一度並んで、順々に散っていく様は見ていて震えた。多くの言葉を交わすわけでもなく、当然のように去っていく姿に、強烈な仲間感を感じ取った。ああいうビジョンをいくつ持っているか。そういえばカメラも演出も、工夫があってカッコよかった。知らないことは真似できない。上達の多くは真似から始まる。そういう意味で、成長もしにくい。

なんか、近所の家で風呂が壊れたとかで、見ず知らずの兄ちゃん、なる人が風呂に入りに来てるみたいなんですよ。誰やねん!ていう話やね。こういうやり取りも、知らないと出来ない。オトシドコロ、を知ってないと対応しない。もっといろんなものを知ってゆこう、いいものを。