職人、芸者 一本の指針

直弼くんと、ぼくの考えは似ていることが多い。自分の考えが、そのまま人の口から出ているかのように感じるときがある。

最近は、なんだか。考えが似ているねって感心するのはいいんだけど、それ自体はどこへも向かわない発言だ。成果を確認しあうような関係にはなりたくない。俺たちはわかってるよね、ていう物言いをするだけの関係になりたくない。

馴れ合い。馴れ合いはしたくない。活気がなくなる気がするね。価値もなくなる気がする。友達はどこまでいっても他人であるから。多少気安くなったからって、礼儀を欠いては困る。友達でいることが長くなったからこそ、より礼儀を尽くすべきじゃないのか。

友達が長くなると、遠慮がなくなるのではなく、信頼が増えると考えたほうがいい。気を使わないですむようになるっていうと、したに向かっている感じがする。言っていいこと悪いことがわかって、信頼が増えるという方がうまくいく と思う。どこまでいっても他人ですから。

友達の価値をきちんととらえるためには、そう仲良くない友達も接するようにした方がいい。友達の価値を再確認する役目を果たすこともあるし、新しい友達を増やす機会にもなる。

友達が長くなると、やっぱり油断やらマンネリやらある。それはある。けれどもそこで日和っては廃る。理想を常に掲げねばならない。この理想は、他人に押し付けるようなものでもない。自分がしっかりと踏まえておればいい。
友達っても他人でしょ、のような考えまで一緒だった。似たもの同士なので、距離感が合うのか。


返事が下手だっていうと、2返ってくるかと思っていったことに10返ってくるって言ってた。ひとつには、やっぱり返事が下手なせい。下手だから、自分の考えをまとめて伝えようとする。だから10になるんだけど、それは何か高評価につながってたみたい。でも、今目指してんのはスマートな返事、発言なわけ。1から10まで、一気に喋んなくてもいいな。一気にしゃべるより、やり取りをしつつ喋る方がいいらしいってのを集団の会話の仲で学んだわけだが、一気に10も評価されることがあるみたい。使い分けやなー。



君はハートが強いね、とよく言われるが、共感者がいるっていう考えが前提にあるから強く出られるだけで、ひとりだとこうはいかないよね。君がいてこそなわけ。でも、そこは言わない。相手にとって、自分が唯一だと知られることは、緊張感を損なうと思う。気負いをつくって、関係が歪むことになるかもしれない。

喋れるんだから、なんでも思ったことは言ったほうがいいよね という前提も共有しているみたい。これが今までうまくいってたわけやけど、例外はあるな。基本は確かに思うことを喋って、よく笑ったほうが相手の警戒は解けるだろう。けれど、今は警戒を解くよりも、緊張を保つべき局面だと思う。もうわりかし仲はいいので。

基本はなんでもしゃべる。理屈としては、警戒が解ける。友好関係の輪が広がりやすい。しかしあくまで基本であって、例外がある。関係を考えて、その時々でいいと思うふうにやるのが正解だと思う。一緒くたにはできない。なんでもしゃべるのは、初対面だからそのほうがいいなって分析の結果でた結果であって、対象が違うと結果は変わる。

一本指針を持った場合、それから外れることは不潔だと感じることがある。表面的にはなんでもしゃべる、いやしゃべらないと変化があるが、時々の場面を考えて最適な行動を取るようにするっていう指針はぶれていない。ブレていない。