私は惜しいよ、やるせないよ 思考が盲目

それほど物事を考える君が、日夜カラオケに徹するような輩と同様に扱われるのは、私には惜しい。

企業、将来、幸福のために求められるのは、小難しい理屈ではなく楽しい人間関係だと思うのだよ。それは企業の募集の要項にも現れていて、優れた人間性を条件にあげる企業は多い。

優れた社交性は、会社で使う!プライベートで使う!一方、政治、歴史の知識なんて、好事家の集まりでたまに話す程度だ。僕はね、生きるための知識にしか興味はないのだよ。ミギーみたいなもん。そんな硬い、死んだ知識、使い勝手の悪い知識はいらない。

政治、歴史の知識は確かに重要。しかし使えなければ意味がない。最近は便利な世の中だから、探せば身近に実感できる歴史、政治の本があると思うんだよね。やみくもに、無目的にあれこれ知っていくより、そっちの方がいいんじゃないかと思うんだよね。
ケータイの使い方って、説明書読むより友達に聞くでしょ?とりあえず、使用頻度の早いものから。闇雲に政治っていうカテゴリに満足してただ読みふけるのは、説明書を目的もなく読みまくるようなものだ。楽しくない。楽しくないから身につかない。楽しいっつっても笑うとかじゃないですよ。あーこれ使えるなーって気持ちが動くのが楽しいに入る。


理屈はこうだけど、感情は理屈に勝ることを知っている。理屈はこっちが通っていても、嫌だの一言に負ける。そういうもんだと思う。
女の人って、つまるところ泣き落としでしょ。話にならんって思って、多少下に見るところもあった。が、理屈を極めたような男が、女の人がへそを曲げたらもう謝るか待つかくらいしかないって言ってて、そうなんか!と思った。彼女らが聞きたいのはもう理屈じゃなくて感情なわけで、そこに理屈をこねてもどうどうにもならないって。

そもそも、感情が先か理屈が先かってーと、感情がたぶん先に出るものだから。理屈が先にでると思ってた人からすると、案外思考って盲目なんだなって感じだ。
自分の理屈が間違ってることはそうないよ。だって、自分の考えを擁護するように理屈をそろえるんだから。自分はこう思う。考えてみると、こうも言える、こうも言える。やっぱりそんな気がするな、俺は正しい、と。
自分の間違いに気づくのは、自分が間違っているかもっていう認識が立ってから。自分が間違っている理屈を並べてみるとあれ?案外並ぶなー。ここではじめて自分の間違いを知る。盲目だ。

選択の、一番はじめのステップは、片方を感情で選んでいる。両方を、理屈で吟味した上で選んでいることは、実はまれ。盲目だなー。