もうわかったよ 押し付け か 啓蒙 か

いやー友達付きあいはいりまっせーていうと、俺はいらん!てゆわれる。

それでも食い下がる。なぜかというと、俺の考えでは、趣味嗜好を別にしても、合理的に友達付きあいはすべきなはず。なのに友達付きあいをしないっていう矛盾が残る。
その矛盾が、俺に思考を強いる。

押しつけは、俺の言ってることがわかんねーのか、馬鹿めっていうふうに考えること。
啓蒙は、自分の考えを表明するにとどめることと思ってくれ。よしんば、自分の考えが伝わって、行動を変えてくれることもあるかもしれないと思っている。


一番大きく、友達付きあいが必要と考える理由は、社会へ出て必要だから。せっかくさ、モノを考える習慣があるお方であるのに、準備不足のために不遇な待遇になることが不憫でならない。
そう、すべては楽しいことと、社会への対策として何が必要かと考えたうえで、行動になっている。

前はそんな言い方はしなかったと言われれば、俺とて全能ではないんだ。ひらりひらりと常に現実に翻弄されている。このフェアリーを捉えるのは至難の業なのだ。それに、君子は豹変す とも言うしね。


社会勉強、社会のための対策のみを勉強と定義するのなら、好きな勉強をする直弼くんの勉強は勉強であって勉強でない。せっかくモノを考える習慣のある直弼くんが、そのたちゃらんぽらんと同程度に扱われることが不憫でならないわけだよ僕は。
また、今は立場が近いから自ずと関係も近くなるが、立場が違えば遠くなる。遠くなるには、惜しい。ぜひついてきてくれって思うけどね。


それでも、その話自体が嫌だってんなら、何も言わず口を閉ざすべきってこともわかってます。考えを聞くのも嫌だって言われれば、そこでもうおしまいにします。そこはもう、思いやりの範疇。自分の我を通すことと、直弼くんと友達でいることを天秤にかけて、直弼くんをとる。となれば、ある程度の要望には妥協を持って迎える。