性悪意地悪、人の輪、騒ぎ

人と付き合うようになって、以前ほどではなくなったが、それでもまだ複数でわいわいとしているのを見ると後ろめたい。それが前に喧嘩別れをした奴らだったりすると、どんよりとどん底くらいになる。
自分が絡むと、複数で仲良くはならない。意識してないが、そういうふうに関係を持っていってるのかもしれない。僕は子供のときはどうしようもない、支配的で排他的で利己的なやつだった。わがままに振舞った。そして、それを意識して以来ふつうに友達をつくれたことがない。

今はやや友達がいるが、それらはすべてサシの関係である。どうも複数で仲良くという形にならない。
けどね、本当に繁栄するのは複数の関係だと思う。そのための努力を払うべき。みんなで仲良くできるように計らう。こういう一見無駄で手間で余計なところまでケアを行き届かせる人は魅力的だな。

ナンバー吾でいうなら王。神戸在住なら林くん。そこにいる人が、居心地のよい雰囲気を目指すべきだ。こいつと喋ってるから、来てもらってもいいっちゃいいけど、そんなに積極的には求めてねーっす。実を言うと来られるとちょっと面倒臭いくらいに思う。排他的。


なんでそうなるんやろ。友達の友達がきたら、挨拶くらいしたらええのかな。ちょっとした差やと思うけど、その差がわからずいつも不発で終わる。そんなもんか?そんなもんやとしても、そうできたらいいなってことを実現させるのが、させようとするのがいいんやないかい。関係あるかあ。けど、データとしてね。仲良くはならんもんなんやろか。

自分の性質として、どうやら新参者に対しては偉そうというか、そっけない人間だということが、前にサークルに人が来たときの対応でわかった。これにはがっかりである。そのときは、能力のない人間が悪い、中途半端なこの時期に入ってきたからには、何かしら自分というものを持っておいてくれよって思ってそっけない対応をしたが、こういうところで気を使えるのが、魅力ってもんじゃないかしら。ま、仲良くしたないからそっけなくしたって考えれば、それはそれでスッキリしててええけど。

愛想の押し売りはな。寒いもんな。人間やもの、利益があるかないかで大きくは動くがな。あっこは条件として、ただ楽しいか楽しくないかだけだった。だから楽しくない人には対応が冷たくなる。当たり前。
例えば、仕事とかもう、人事が決まっている状況であるなら、どんな人とでも最大限心地よく仕事ができるように気を遣う必要はあるだろうが。そう考えるとそれほど、利益もないし当然の冷たさだったと言えるな。ここで温もりを持ち出してくるのは、愚か。ここじゃないだろ、と思う。エサをやるのは、世話する覚悟というか能力があるときに限る。無闇矢鱈な優しさは不幸のたねだと思う。養う能力ないのにネコを買うことは、自分にとっての負担であると同時に、ネコにとってもほかの飼い主に養われるチャンスを失うことである。そんな感じ。