お金持ち、誰かの頑張り

金さえあれば、俺は哲学者にも研究者にもなれたのに。

俺の人生はステップとしては、やりたいことするには金が必要だなとある程度わかって、貧乏経験からね、せめて子供には金を用意しておいてやりたいなあっていう段階。
その金を使って夢へ羽ばたくのはわたくしのガキである。

金持ちって、チャンスなんだよ。金があるから何もしなくてもいいっていう捉え方は、あまりにもチャンスをふいにしていると思いませんか。誰かが、例えば自分のように、どこかで頑張ってお金が今あるようになったわけで、誰かが人生を使ってその状態へこぎつけた過去があるかもしれないのに。


こういう主張は、金なくたって、本人の努力次第だよっていう反論を呼ぶ。ばかやろー!努力なんかやってること前提だよ!!努力することは言うまでもない。金がないからって、ないもんはしゃーない。できるだけやるしかないんだけど、だから自分が目的を達せられない場合の逃げ道として使うのはだめなんだが、けど環境として考えた場合だよ。やっぱり金ある人はあるし、色々やりやすい。大学、東大へ行ってる学生の親は社会的ステータスの高い人が多いんだよ。


金があったら色々できるのになーっていう考えと、自分が何かをできないことはまったく別物と考えるほうがいい。ないもんはないから、自分にできることは自分の手持ちの駒でどれだけ成果をだせるか足掻くことのみ。

何が言いたいんだろうか。金持ちの人だからこそ、貧乏ってものに対しての理解を深くする努力をするべきだと思う。自分がどれだけ有利なポジションにいるのか自覚すべきだ。金がなかったら何がやりにくいか。そういうこと、まとめとこうかな。金がないからこれができなかった集。
金がなくても、気力があって努力で行く人もいるよっていう反論は、自分のいいたいとこからははずれてるから反論として認めない。
金がないからこれができないっていう主張じゃなくて、金があるっていうのは有利な状況なんだっていうことを言いたいわけだから、反論として認めないのかな?自分でもあんまり整理ついてない。が、たぶん今のが最も近いか?