コクリコ坂 校歌斉唱について

社長さんが来て、みんなで歌を歌ったけど、実際はこうはなれないよなーって思う。みんな歌わへんからとか、ださいとか。だるいとか。

まず、学校で教えるべきは、思想じゃないかね。歌を歌う場合、歌を歌うことが最も充実しているシーンを見せることから始める。例えば例年コンクールで優勝してるとことか。笑ってこらえてみたいな感じで。で、歌を歌うことの充実から生徒に訴えて、そこからこれをやってるのは君らと同じ学生だと。これには届かないなりにも、一生懸命にやることがまずは大事じゃないかねと。

こういう教育は、思想の押し付けだから良くないとは言うが、どうせ何もしなくては腐ってるじゃないか。そもそも押し付けとは言うけれど、独自の自我、自分独自の自我なんか存在しないんだから、多かれ少なかれ押し付けじゃないか。


話は変わるが、三島由紀夫の武士道がまた戻ってくるという話をした。昔にあったものがまた現代に復活するのは、これまでやってきたことはなんだったの?とか、結局昔にあったものかよ、ていうガッカリ感がある。しかし、これは物理的に今何があって昔なにがあったのか、昔と比べて新しいものがないじゃないかっていうガッカリ感だと思うが、実際にはそこには進歩がある。情報的に見れば、やめてみたけど、やったほうがよさそうだからもういっかいやりましたっていう状態。前はなんとなくやってみて、問題はないけど、いいとこもよくわかんないっていう状態。けれど、武士道をやめたことによって、廃れたから、武士道には腐敗を防ぐ役割があったんだなあっていう進歩。