ノーム・チョムスキー 講義の仕方 国が望むのは静かな市民 情報発表の方法

権力に対しての抗議の仕方。我々ができることは何か。上院議員よりも下院議員が話をきいてくれやすい。大統領は上院議員にまして話を聞いてくれない。

最も聞いてくれる下院議員への抗議の仕方はたくさんある。重要なことは、組織だって、継続的に抗議すること。組織での継続的抗議は、ナチの独裁ですら揺るがした。アメちゃんのような直接国民を叩く手段を持たない国ではなおさらだ。

抗議の方法としては、情報を提示するとか調べる段階で抗議と言えるが、それは向こう、政治側も簡単に避けてくる。
組織と継続による抗議が必要。例えば、座り込みとか、話に行くとか。へー、そんなもんかいな。

人が集まればいい。言われれば簡単な気がするが、聞かなければ抗議はいかに遠かったことか。この遠さ が、国が望む静かな国民にまんまとはめられていることを示している。なんと、なんと思い通りに躍らされていることか。


訳者は最後、チョムスキーの提示する抗議の方法は日本にはちょっと合わないかもと言ってたけど、どうやろか。どこが合わないのか。座り込みでも、話に行くのでも、人を集めてやればいいと思う。人が集まらないってこと?それともそういう行為は社会的に抹殺されちゃう?


メディアが取り扱ってくれないから、訳者が活動している東ティモールの現状は知ってもらえないと言ってたけど、今はネットがあるから、どうとでもなるんじゃないの。前はメディアが取り上げてくれるまで誰も、世界へつながる口は持ってなかったけど、今は有名人のTwitterとかさ。すでに発言力のある人に、直接こういう現状を言ってくれないかなって頼むとかどうか。本当に正当性のある意見だったら、それをいう役割ってのは有名人のプラスに働くし、つぶやくくらいしてくれると思うけど。


ニコニコ動画とか、面白いもの探してるとこへ持ってくとか。どうなんだろか。そういうもん全部含めて支配下におく勢力があるのだろうか。やってーて言っても、どこも上からノーって言われてって言って対応してくれないとかあるのか。


今は静かな国民になっちゃって、政治的運動とかも全然起こらなくなっちゃったけど、そうなっちゃった人から見たら、また人が政治参加を積極的に行って、意見をみんながみんな持つようになったらゴタゴタして大変かしら。ゴタゴタと混沌の世の中になったとしても、今はネットが情報をまとめる働きとかしてくれるようになってるかもしれない。ゴタゴタとしても、活動がないよりは活動が活発な方がいいのかな。


芸人の体を張った芸が、規制される方向にある。子供が遊ぶ場所も規制されつつある。この場合考えたいのは、安全と、危険をおったから得られるリターンの比較。子供の遊びには、死亡がつきものだけど、その死亡のリスクを負うからこそ生き残った子供は何か学んでいるんだよっていうシステムでいいと思うんだけど。人口過多の世の中ですし、ある程度は、人は死ぬべき。今は歪に生き延びすぎる。俺は絶対死にたくないけど、みんなそう思いつつ不運なのは死んでしまうってのが健康的なんじゃないの。