キーチでの集会をみて 組織について

キーチの3巻の冒頭、一日の行動を振り返ってよりよい「真っ当」への糧としよう、黙祷!て言うてて、うさんくさいなーって思った。あんまり意味もないやろな。最初の立ち上げのときが、一番純度が高かったやろう。形骸化するんだな。組織になると。だから、何かを極めるときは一人の方がいいのかな。

組織に属すことで、切磋琢磨ができるならそういう組織の方がいい。一人よりも、切磋琢磨できる組織がいい。より詳しく言うと、ひとりひとりが哲学を持って、それを持ち寄って議論するような組織が理想じゃないか。一人だけがモノを考えて、それを広めるべく人を雇っていくような携帯は、失敗しやすい。うまく思想は伝わらない。みんながみんな自分の哲学を持って、それを持ち寄ったり、批判したり。
師匠と弟子の制度、スターウォーズジェダイみたいな形態がいいんちゃうかな。会議とか師匠と弟子が両方でて、議論のわからないところは師匠に聞く。弟子と師匠は同じ考えでなくてもいい。弟子も優れた考えを示すようになったら、議会で発言して、たとえ師匠は認めたがらなくても、ほかの多くの師匠が一人前だと思ったら、師匠になっていい。師匠になるのは弟子を雇うことを前提とする。よって人も増えるかも。

特徴は、ひとりひとりの活性度が高い。ただ考えなしに、人の考えを聞いてるのか聞いてないのか。出席するだけ、わけもわからぬまま真似る、そういうのがない。より優れたものになるのは、当然といえば当然。

生物の進化をなぞらえている。カンブリア紀、色々な生物がたくさん突然に出てきて、ほとんどが滅びてしまったわけだが、しかしどの種類の進化も、後々まで残らなかったとはいえ個々に見れば必死に生きた。数撃ちゃ当たる。思想、何かを求める人間が多い方が、到達点は高くなる気がする。


話がわかってる人だけ、いればいい。が、それだとすぐに途絶える。なので師匠と弟子をワンセットにして、考えを追求して、師匠は弟子の考えをおおよそ形作り、師匠自身も常に考えを進める努力をして、