自分という人物と、彼女持ちのスマートさ

今日のスピーキングで。
テーマを探しているときに、幸せを感じる瞬間という議題をあげた時、よくそうぽんぽんと意見が出るな、すごいなと感心していた。彼女持ちが。たまたま吉本ばななのアムリタを読んでいてそういうことが言えただけだったが、そう思われることはいい気分だし、本を読んでると言いことあるなあ、とも思った。


授業の最後に、見た絵を英語で伝える活動があった。彼女持ちは完璧に絵を表現していて、英語が上手で羨ましいなあと思った。
自分の番が回ってきて、うげえと言った。英語で場面の説明はしたけれど、英語自体は話せたけれど、説明が下手でいまいちだった。わからないでもないけれど、微妙に違うと言われる。もっと情景描写、オフィスの中でとか、言えばいいのにと。そういえば、彼女持ちは最初に、天気がどうだとか橋がかかってるとか、大きなものから言ってたなあ。外堀からか!と言うと、そうだよ外堀からだよと言ってた。こういうちょっとしたことを、上手にこなせるあいつはかっこいい。さすが彼女がいるだけあるなというと、馬鹿にすんなって言ってた。何かいい感じだった。

スペイン語とか、直弼くんとのやり取り、清少納言さんとのやり取り、サークルでのやり取りから、自然体でものを言うこと、思った通りにモノをいう習慣、性質ができたみたい。あと、よく笑う。茅原実里さんがどこへ行っても面白おかしい女性であって魅力的であるように、自分もだいぶ、面白おかしな人物になったのかもしれない。魅力的だ、素晴らしい。すぐに彼女も出来るだろう。