清少納言さん、手をつなぎたがる

欲望に忠実だ。告白の目的がそうだったのだから、そりゃそうなのか。

お互い、自分の分を超えぬようにするのが好きだ。そういう生き方は上手な反面、自分の要求をうまく示すのが下手だろう。お互い別れ際に余韻を楽しみたいと思っていたくせに、きっぱりと帰っていってしまう感じ。これをよしとするのは、主に能町みね子であったり江古田ちゃんを好むところから来ている。清少納言さんは、俺がじゃ!とぶった切ってしまうから、そんなもんかって思ってと言っていた。また、お互い改札口とかでだらだらするのはさあ、というからあれはお互い幸せな時間なんだと思うよっていうと、でも付き合ってたらの話でしょ、ああいうことをするのは、と言ってた。


告白したのかー。
相手が要求をしてきて、俺が答えて、それでいいのかな。俺の方から、抱き合いたいとかは言わなさそう。恥ずかしいし、相手がどう思うのかよくわからない。そういう要求を通したいという気持ちよりも、今清少納言さんと二人でいることのほうがメリットが大きい。需要はすでに満たされているのだ。


どの程度、要求を通すのかも考えどころだな。学校のなかで、手をつないだりするの?それは嫌だ。俺たち彼氏彼女です、と吹聴しているようなものだ。大学構内で、わざわざ。
相手がどうだという話じゃないんだよ。大学内でのそういう行為は、大学という場所の人柄を考えた場合、そとでイチャイチャするのとはまた違った意味を持つと思う。自慢とか。
それに、そんなにいつでもどこでも手をつなぐのはどうかな。手をつなぐって、すごい一体感があると思ってたけど、案外足並みはばらばらで、こんなもんかって思わせる。手をつなぐ良さは、そこじゃないっていうことだけだけどね。例えば二人の距離であったり、手をつないでいられる関係性を確かめて喜ぶものなのだろう。けど手をつなぐ初心者やし、手をつなぐってのはもっと幸せなもんかと思ってた、それだけで幸せな。愛がないの?

愛について。愛は一目惚れで好きだとか嫌いだとか、そっちなのかな。そういうの、性格が伴ってないと飽きるんじゃないのって思うけど、マトリョーシカさんは見た目が好みで、あの人を見てるだけで幸せな気分になる気がしないでもない。けどあの人とは、性格はあんまり合ってなくて、すぐに息切れしそう付き合ったとしても。清少納言さんは、内面がとても共感できる、内面性から外見もきれいにみえないこともない人だ。下を向いてる時なんか、きれいなあって思う。

見た目じゃないんだ。ずっと一緒にいる中で、じんわりと好きになっていくものだと思うのだけど、マトリョーシカさんへの愛着を経験してしまったので、どっちなんだろうと疑問になってきた。マトリョーシカさんと将来はないけどね。


お互い、よく考えるタイプだ。感情でいやになって破局ってのはないんじゃないかな。お互いの考えを示して、話し合うのが好きで大人しい二人である。それでも顔も見たくない、別れたらそんな風になるんだろうか。

恋人として、どの程度踏み込んでいいのか、お互い知らない。それは二人で探っていくものなんだと思う。