道徳ディスカッションを通して

完璧な道徳観にもケチがついた。反論があるのだ。反論の基盤となる、考えをすべて知ればいいのでは?神学部の人は、人間に崇高を求める。

これまで崇高な考えは、取り合わなかったけれどそれも取り入れればいいのでは。要はバランスなのだ。

まず形式的道徳。次に、生徒の反応をみてから、新しい道徳を教えればいいではないか。

道徳観が一つでなくてはならないという決まりはない。答えが出したいので一つの考えにこだわったが、そうする必要もないのでは。

様々な考えを知って身につけて、道徳強度とでもいうものを強める動きが道徳なのだ。



正しいと思う判断にも反論が出る。反論も正しく思えて、正しいことがわからなくなる。それでいいのだ。すべてを知り尽くして、それから答えを求めよう。最終、正しいかどうかは実践が可能か、効果はあるかに収斂される。



いい議論をするには、相手の意図をしっかりと掴むこと。掴めるまでは、何度でも聞くことが必要だ。
あなたの考えではこういうことだと思うんですが〜、まるまるについてはどう思われますか?だつて。

あなたの言う道徳は真理であるけれどそれをそのまま伝えることは、生徒にいらぬ混乱を招く可能性が高い。実際にどのように教育現場では伝えていくのかお聞かせください、だってさ!!てーねーー!!はん、お高く止まっちゃってさ。あなたの意見には深く共感するんですがしかし、剥き出しでは、みたいな意見もちらほらと。だろー?いい考えじゃーん。

原理を説明したあとは、実践は折にふれて、生徒の判断が間違ってた時に、自分の考える道徳に従って、その考えるプロセスを少しづつ伝える形で教えることになると思うと言った。我ながらいい考えだ。



今回のディスカッションの成功の構造は
�自由参加にして人の質をよくした事
�最初に簡単に、授業全体の振り返りをしたこと
�その上で、意見、疑問を募ったこと。グループに3つ募った
�明確な意見表明者を立てたこと
�助手、黒板があったこと
�ニコ生を見てたこと。完成図を持ってたのが大きい。言わば経験者のような振る舞いができた。

しんすけがラジオをやった。羅刹ラジオ。あれは面白かったのに、次の実況者ラジオは面白くねんだな。何でかっていうと、しんすけのラジオはしんすけが話したい人を集めたのに対して、実況者ラジオは人集めのためだけに、人気どころを集めたでしょう。興味のない人同士だから、上っ面の会話にしかなんないんだ。お互いに、よしとする形を想定出来てない。しんすけは話したいことがあるから人を呼んだのだし、話したいことが話せたから俺はこれ成功だと思うって強く言える。やりたいことが明確だからまとまりもいい。本人に興味を持たせる内容だから、みんなも面白く聞ける。

成功の形を想定出来てること。
今回のケースに当てはめれば、
�自分の中でいいたいことは固まってる、これが通用するのか知りたい。反応が知りたい(明確な目標)
�この意見に対しての反応、反論だけなら尺が足りないかもしれないが、人を選りすぐった上で意見を求めるので、ニコ生みたいなもんか、と思うと成功しそうだと思った。
□意見、考えを共有すること自体が有益じゃん。
□いい意見が出ないでも、それが学生の認識だって示す役割はあるじゃん。こうも受け身で授業講義ばかり聞いてたら、個々人がどうやって知識を整理してるのか、その具合をアウトプットで知れるのは楽しくない?
□自分の意見と違った意見が出たら、え?何でよ何でよ?と好奇心を持って聞けたのが優れてる。
□全員が専門家を目指しており、興味感心水準が高かったことも成功の要因


こんな分析しちゃってさあ。頭いいよね。頭がいいを、漠然と知ってるのが大きい。それは明治期の成功が好きだったり、ヒストリエの主人公の態度が理想的だったり(探究心と構造を考えるところ)、中学の時の塩野くんがかっこよかったりしたのが影響してるんだろうね。あいつは空想科学読本とか変なものが好きで、物事ってのはこうなんだよってよく話をしてくれた。人間関係についても、ここでああいうのはこういう意味があるんだとか言ってた?その一方でとても可笑しな人だった。よく笑わされた。理想だった。