特別活動の研究感想

学校で愛国心を教育すべきかという論題に、YESの立場で参加した感想。YESの側の主張は、愛国心は、日本をより良くしようという意思として、愛国心を持つことはいいことだとした。NOの側は、現状以上の愛国心教育をすべきかどうかで、NOとした。今以上の愛国心教育は、戦前の状況を引き起こし得るとしたためだと思う。

議論は互の主張を繰り返す平行線で終わってしまった。相手の主張を崩すには、相手の前提と理屈にたって意見を言うことが必要だと思う。現状の愛国心教育を許している以上、愛国心教育に賛成となってしまうではないかと言えるけれど、相手は違うと言っているので、違う前提でYESの側はNOを論破すべく、意見を言うべきだった。また、NOの側の人らも、こちらのいう愛国心が国を良くしようとする気持ちであるっていう前提から考えて、それでもよくないと思うところを言うべきだった。そちらの定義であって、こちらの意見ではない、そちらの言っていることがわからないを前提、結論にしてしまっては議論が成り立たないと感じた。


YES側の意見の、愛国心を国をよくしようとする気持ちという意見に対しては、しかし現状として愛国心は、政治家等にいいように利用されている、それを防ぐためには愛国心について考えを深めるべきだと言われた。
国をよくするで言えば、国が悪いことをしている場合、また個人のニーズと国のニーズが合わない場合が往々にしてあることも考えなければいけないと言われた。国と地方でもまたニーズが異なる。

国と個人の在り方として、まず国は個人の幸せをより高い確率で保証するためのものだと考える。国が個人に幸福をもたらしてくれる限り、個人は国に協力すべきだ。愛国心というものを考えるとき、日本を思う愛国心がゆえに、他国との戦争状況が生まれえるという話があったが、愛国心の対象は国であって、自分に保証、医療であったり教育であったり、生活の基盤を整える役割を与えてくれるのが国の役割なのだから、何も日本にこだわらなくてもいいのではないかと思った。拉致されたのなら、拉致された国での自分に対する生活の保証を主張すればいいのだ。国が生活の保証、自分のためになってくれないのならその国には反対すべきだが、生活が保証されればイギリスに拉致されたならイギリスのために働けばいいと思う。

日本で言えば、一部の政治家?とか何かが民衆と比べて、不法なほど設けていたとしても、それはこれだけの日本国民にある程度の幸福を与え得る構造には付きもの、ある程度の人数が集まれば必然となる、構造上のバグに過ぎない。そのバグが、国民ほとんどの生活を損なうレベルになってきた場合、革命等何らかの形で国は転覆させられるのだが、技術発達もあって下手な統治でも食べ物に困ることはなくなってきてるから革命とまではいかない。それなりに自由や幸福を感じさせつつ、搾取されている。

余談であるが、政治家が国のために働けないのは、政治家になった時点で自分の生活はある程度保証されてしまうため、わざわざ国民という他人のために苦労を背負い込む気力がなくなってしまうのが原因じゃないかと感じた。他人のために、道徳的に動かなければ国はよくならないという構造が、短命な首相に繋がってるんじゃないか。成果をだして国民の支持を取り付ければ大金が手に入る可能性がある制度にすれば、もっと的確に動ける組織になるのではないか。