家族で海は 勉強は外で 民間でも

勉強は外、どこか静かなところでやることにする。家では出来てない、統計的に。外でやるものにしてしまえば、ダレたりしなくなると思う。

家族での海は、時間潰す感じになる。そりゃそうだけど、暇。どこ行こうが勉強するからいいんだと思ってたけど、集まる場所は限られて、うるさくて出来ない。トマトは一つしか出来なかった。それに、バーベキューもやったのだけど、全然食べない。家族での海とか旅行は、やっぱりいらないかな。珍しいとこなら行ってもいいけど。

家はだめだ。空気ゆるい。


民間でもいいのかな。母親はパートではあるが仕事が出来て好きに休みを作れるほどだ。ああいうのを見て、民間でもいいかってなるのかな。かっこいいからと。それもそうか、借金があるからと言って公務員になってたら、みんな公務員になるし。ちゃんと仕事をしてきた人には、基礎力があるから仕事はあると父親は言うけれど。
だが、一つの目標すらまともに達成できない自分には無理じゃないか。昔に読んだノマドの本では、面白そうなことにはすぐに手を出して、それなりにモノにすることを当たり前としていた。英語すらまともに出来ない自分に、そんな生き方は可能だろうか。
変わるのは簡単だとは思うけど。環境の違いか。勉強する場所を作れば勉強はするよ。あと、休憩もちゃんとした時間の使い方をしないといけない。休むのも仕事だ。中途半端にネットしない。

一年生の時、またそれ以前を間違いばかりだったとよく悔いる。しかし、それがなければ今はないのだから、そしてもう答えはわかっているのだから、くよくよせずにすぐに行動に移せばいい。今ある完成図だけを歩けばこうなっていたのにという後悔の仕方ではすべてに後悔することになる。成功を辿るのがいいのではなく、正解を探るのが現実的にある限りでは、限りなく成功に近い態度ではないか。


清少納言さんが友達と予定が多い一方、自分はずっと暇なのが気になる。バイトをすればいい。サークル入ると友達増えるよ。すべての友達は、何かのきっかけの友達だ。自分みたいに、無理に声をかけてって感じではなくて、例えば語学のクラスの人と、例えばゼミの人と仲良くするらしい。ゼミも語学もその雰囲気が全くないのはなぜだ。