自分の顔、相手の顔

美学。こだわり、勇気、自我。

目的が全てで、勇気なんかそれ自体が素晴らしいものではない。こう見える人はこうだ、なんとかもできない人と話す価値はない、会社員に話をする時、わざわざ会社や上の人に話をしないと話をするかどうかすら決められない人と話をしても価値はない。
なんて勇気のない人なんだ、そういう自己決定すら出来ない人に何ができようかというけれど、作者は作家でそうも言えるが、会社員なんてそんなもんじゃないのか。それとも、プライベートでも確認を取った?会社に関わるからか?とにかく上の指示を仰げ、勝手な判断はするなってのは会社で教え込まれることだ。正しいかは知らないが、部分しか知らないまま判断は下せない。何かあるかもしれないから、一応話を通してもらえば安心だ、とかそんな風に考えているかもしれない。

自分のお金で、公務員や大臣?は秘密にしたいことは行えとか、会議の場で言えることと、フランクにあって話すべき大切なこと、伝えたいことがあるなどはすごく共感するが、これができない人はどうせできないだろう、という物言いが最後の方は多い気がする。これも当人でなければ知り得ない事情があって、自分が批判すべきものには当たらないのかもしれないし、彼女の立場だと多くの人の価値を判断しないとダメでざっくりとでも指標をつけることが必要なのかもしれないが、自分はそういう判断はする必要はないなと思った。


ああいう洗練された態度を見ると、ケチがついて、何が優れた態度であるのか、みたいな議論になることもしばしばだが、目的は目的を果たすことであって賢くあることではないからね。そこらへん、作者はよくわかってると思うけど、自分の中でそのラインが曖昧になりそうだ。主張が強いから、この本。そうなのかな、あれこれもできない人はどうせダメだろう思想が身につきそう。そういう混乱が起こる。