たつきさんのおかげで

たつきさんのおかげで

たつきさんに文章アドバイスをもらったことは、非常に大きな意味があったと思う。
素直にすごい。思ってたよりも、力のある人だった。こうもきれいな文章が書けるのか。すごいすごい!

あんまり大したことないと思ってたが、すごくよくできる人だ。嫉妬した。同じ土台で、同じ条件で文章を書かなければならないだけに、差がはっきりと見えた。

自我の更新だった。なんていうのかな。これまでの自分、思い込んでた自分と、現実の自分が違っている。

語学力が何になる。それよりも自分を表現する力、社会でうまく生きる力の方がどれだけ大切だろうか。

自分がいらないとか言っていい加減にしてきたものを、たつきさんはとても大切に扱っていて、その結果同じ人間同じ年で、こうも差ができている。俺の人生つまんねーよ。たつきさんがいてくれたことだけが救いだなあ。なおすけくんもどっか行っちゃうし。


もっと丁寧に生きないといけないなあ。好き嫌いもよくない。この決心を忘れたくない。

もうちょっと変化のとこを具体的に書こうかな。ゼミの志望理由書を書かなければならなくて、自分はどうにも上手く行かなくて、でもみんなそんなもんだろって思って出して、滑ったのが去年。たつきさんに文章を見てもらって、アドバイスをもらって、実際の文章も見せてもらって驚いた。すごく上手だった。こんな文章を書く人もいるのか、と衝撃的だった。

アドバイスをもらったものの、ちゃんと出来るか不安だった。書いてみるとやっぱりうまくいかない。綺麗にかけない。写真で撮らせてもらっていたので、まずはじっくり読んでみようと思った。
こう書けばいいのか!こういうことをこんな風に書くんだ!自分の中に、何か心地よい風がぐんぐんと入っていくような気がした。

改めて自分の文章を見ると、アラが目立つ。わかりにくい。魅力的でない。
たつきさんが言っていた、自分が採用したくなるような文章を書くようにする、という考え方はとてもわかりやすかった。
また、絶対に落ちたくなかったから、必死に書いたって言ってて、技術も気持ちも負けてたんだなあと思った。

どうして文章上手なの?て聞いたら、受験も作文で学校でもよく作文した、書き直しもしたって言ってた。尊敬するしりこだまさんも、ジャーナリスト?新聞記事を書いててめちゃくちゃ書き直しをしたって言ってなかったろうか。書き直す中で、きれいな文章の型を身につけたのだろうと思った。そういうもの全て避けてきた自分に、文章が書けないのは仕方ないことだけど、一方でそのままそっくり思考回路を真似ればうまい文章は書けるのだと信じる性質なので、どうにか特徴を掴み真似てやろうっても思った。情報処理として脳を捉えるのが好きだ。時間を使うのは、綺麗な型を編み出すまでであって、型それ自体が難しいことは少ない。

そんなたつきさんだが、体つきが太いのが悩みのようで、話してる途中で泣いてしまった。
自分は、ふくよかなのはよいことだと思っているので、どこで泣いたのかわからなかった。

よくよく聞くと、太ってるのが嫌で、足とか気持ち悪い、と言う。
本人がそう思うなら仕方ないけど、俺は好きだよって言って、それ以上は言えることがなくて、困った。

とにかく好きなんだからいいじゃんって思うけど、それも違うのだろうか。
泣くな。大したことない。こっちまで涙出る。
自分の好意をそのまま伝えられれば、泣き止んでくれるかと思うけれど、どう伝えたものかわからなかった。
こんなに好きなのに、泣くことないよって思った。かわいそうになって泣けてくる。好きな人が泣いてると泣けるんだな。

こんな自分じゃ釣り合わないと思うとか、やせればいいんだけどでもってまた泣くとことか、

ああ、好いてくれてるなあ、と思って感動しわ好いてくれてる人が泣いてるなあと思うと悲しくなる。
そんなに強い感情を抱くほど、自分はそんな人間か?

私はあなたの形も好きだし、私なんかといてあなたが変な人を好きだって噂になっても迷惑だろうしってつぶやいてはぽろぽろ涙を流す。


ちゃんと整理したら、綺麗な自分であればよかったのにそうは出来なくて自分が情けなくて、でもそんな風なことを口にすること自体、なんか泣けてくるっていう状況。
喧嘩の仲裁の時、なんか自分の気持ちを言ったりするだけで泣けてくる。あれは何でなんだろう。わからないが、あんな気持ちにさせてしまっている。

思い出の記録に流れたな。話を元に戻すと、
友達もいない、経験もない、人生方向音痴でうまく選択できない自分にとって、たつきさんとの出会いはとても大切なものだなあと、今日しみじみと感じたという話。

友達がよそへ行ってしまう。なおすけくんがよそへ。1人英語だけやってた時は、何も知らないので英語をやるかやらないかでしか判断がなかった。
バイトを始めて社会へでると、自分にはできないことばかりだった。これまでどうでもいい、大したことないと思ってた人たちはうまくやっていて、ああまた間違った道を進んできたんだなあと思った。

へこむことが増えて、味方になってくれる友達のありがたみを考えた。彼女、たつきさんのありがたみも感じた。
文章での成長を経験して、まわりに人がいるってのは、こんな経験をたくさんするってことなんだなあと感じた。自分はそんなことを、中学高校と避けて通って、随分遅れているんだなあと感じた。


自分って平凡なんだ。何か抜け穴があって、人よりとてもうまくできる気がしていたけど、そんなことってなくて、みんなが苦しむときには一緒に苦しむしかないんだって実感した。一握りは人の上に立つけれど、自分はその一握りにはなれなんだなあって。だってバイトもこなせないし。報告書のチェック項目がバツばっかりなんだ、2週間続けて。それに中学三年生は話聞いてくれないで私語ばかりだし、うまく指導出来ないし。

はあ。仕事も先生になって活躍すると思ってたけど、活躍するような先生になれるのか?
そして活躍することが幸せにつながるのか。休みは欲しいよ。

公務員だと、休みがあって時間があっても、一人で趣味なんて寂しいと思って廃案してた。
音楽と本でいっぱいにしたい、というたつきさんがいて、週末は2人で本を読んで感想を書き合うのも、とてもいいことだと感じた。


そろそろ終わりにしようかな。締めくくりに、まあいいやもう疲れたって書き諦めてたゼミの志望理由書にもう一度取り組んで、ちょっと満足のゆく出来に、一歩だけいけた。最後の付け足しができた時に、完成したって感じた。よく出来たなって感じかも。自分にしては、だけど。久々にがんばったな、自分。諦めずに、納得のいくまで。ちょっとの納得だけだけど。

諦めてたのをもう一度取り組んだのは、たつきさんが連絡くれたのがきっかけで、遅い時間だったので時間大丈夫なの?て言ったときに、あとはゼミの志望理由書を読み直して印刷するだけって言ってて、上手にかけるたつきさんは見直しして、自分は投げっぱなしかよって思い直したからだった。たつきさん、好影響。アドバイスをもらってから手直ししたけど、どうもうまくいかなくてまとまりがなくなるばかりなんだって言ったら、たいへんだねって帰ってきて、ああやっぱりやり直しはしないといけないよなあと読み取ったけれど、しんどいから、このまま出そうと思ってたんだって言った。自信のある人なんていないよって励ましてくれたけど、ああちゃんと見直さないとなと思って、見直した。せっかくそんな優しい返事をもらっておいて、いい加減にできないなと思った。優しいだけに、がっかりさせたくない。