愛情がなくなっても友情でいましょう

愛情が終わっても友情でいましょうね

読書して、感想文を作って読み合うのはどう?切磋琢磨すんの。楽しそうじゃない?

それと、気持ちが高まった時、もしくはうまく言えないことがあるときは、文章にして交換すんの。素敵じゃない!?

そんなことをして、ずっと暮らしていければいいなあ。
お互いに、いいよねとかすごいね!て言いながら、文章を読み、書き、考えを交換する。



友達よそへ行っちゃって、友達いなくなるんだ寂しんだって話して、意図としては友達いたら紹介してくれってのと、ちなみにたつきさんはどうやって友達と仲良くなったのって聞こうと思って言ったんだけど

友だち紹介するにも女の子ばっかりだしな…
じゃあ友だちになろう!
彼女兼友だち
どうしても愛せなくなっても友だちではありたい、

公務員だったら、休みが安定してるから、土日で何かに通うことも出来る。そこでの何かに重きをおいて、仕事はそれを楽しむためにやるものとすればいい。
本があって、音楽があって、たつきさんがいて話をして、文章を書いて、

どの活動も、たつきさんがいて始めて成り立つものだけど。大きく言うと、価値観を共有する人がいてはじめて、読書も音楽も、文章が上手なたつきさんがいて、それを尊敬し上手くなりたい自分がいてはじめて楽しいものだけど、たつきさんとならそれができると思う。すてきな2人でいられると思う。

この学生時代が、一番幸せに近いかもしれない。こんな日常は続けられるわけがないと思っていたが、こんな風にして続けられるのか。今もほとんど週末しか会わないし、ほんとに地続きの日常なんだ。

今は教師になろうと頑張る2人だから話すこともあり楽しいのであって、目的がなくなれば関係は薄まるだろうか。文章を投稿することにしたらどう?順位を楽しむ。どんどん文章がうまくなる。だめかな、飽きるかな。漫画を書くとかでもいいかもね。下手でも内容があれば。たくさん読むし、時間はあるし。経験もある。女子高生や高校生、アシスタントが漫画連載してんだよ?じっくり練って、週末連載くらいなら出来るんじゃないの。自費出版でもいいけど。

週末があって、2人がいれば、いろいろ目的は見つけられると思うけどな。お気に入りのお店を作ったり、音楽に打ち込んでみたり。
仕事のために仕事をする日常を思い描いてたが、趣味のために仕事をする幸せな日常もリアルにえがけるようになったな。たつきさんはどう思うだろう。

いっぱしの戦士として戦うことばかりを目指してたが、今が楽しいことも同じくらい重要なのかもしれない。味気ないもんな。味気ないとこには、人が来なくてチャンスも来ない。



夢見すぎかな。まあいいや。先生しかないって思って視界が狭くなってたら、辛いし先生としてもうまく行かないと思う。続かない。
他にも道はあると思えば、気楽だしいい発想がしやすくなるんじゃないかな。余裕あって。
セカンドプラン、公務員で趣味に生きる。1人公務員だと味気ないしつまらない、非生産的な毎日がやってきそうだけれど、たつきさんと2人なら。相手がいないまま公務員だと相手を探すのにも苦労しそうだが、たつきさんいる。ずっと仲良くいられないかな。茅原さんのご両親のように。

たつきさんはたつきさんの好きなものを見て、僕も僕の好きなものを見て、2人とも好きなものは2人で見たらいいじゃない。学生生活の延長。幸せでいられるだろうか。

漫画があって、本があって、お店もあり、景色もあり、音楽があり、旅があり、文章を書いたりゲームしたり。
週末の2日が、そういうものへのチケット。

思想書も好き勝手読める。社会に出てしまうと、納得いかないことも飲み込まなければならなくて、次第に社会の考えるように考えるしかなくなる。悪いことを悪いと言えなくなる。そんなもんだからって。それって幸せだろうか。全ての矛盾を、そういうものだからで飲み込まなければならない。
自分を生かす職場で、自分の生きがいを感じる仕事をすることが許されるのは、全社会人のどれだけなんだ。俺は凡人なんだ、大多数でしかないだろう。大多数はどう思っているのが、社会というものなんだろうか。