話すことがない、相手のありがたみを忘れる、潔く、考えを共有する遊び、指導案を考える遊び

話すことがない?

そんなことない。テーマが一つだったとしても、深く掘り下げて話し合えばいいんじゃない。例えば授業のときのように。これってどう思う?

いい先生、塾はこう言うけどどう思う?をもっと掘り下げればよかったじゃないか。


たつきさんには、僕と遊ぶ比率を友達と比較して、4、6くらいにして欲しいって言ったら、それは私が決めるよって言われた。そりゃそうだと思って笑った。

最初、いつも週末遊んでるけど、友達と遊べてるかとか聞いた。ずっと遊んどるよねっていうと、しんどくなった?じゃあ今週はやめとく?と気づかう素振り。神経質?反応が早かった。

友達と遊んで欲しいって言うと、自分も友達と遊びたいから?て聞いてきた。猜疑心?それとも単なる疑問?

まあいいやと思って流したけど、たつきさんは、僕が誰かと遊ぶことをどう捉えているだろう。女の子と遊びに行くのかな、嫌だなあ、嫌だなあと感じるのも嫌だなあと言っていたのを覚えている。

付き合うってのは、協力体制であって、義務ではないから。誰が誰と遊ぼうと、そこに口を挟む権利は基本的にはない。それで自分以外の誰かをより好きになったのなら、自分の魅力が及ばなかったのを悔やみこそすれ、相手を非難するには至らない。相手はより高い幸福へ行ったのだから、それは素直に祝福すべきだ。すべきなのだ。すべきなのだが、だよねー。できるかなー?