塾手応えと課題

今日の塾での指導は、比較的だがとてもうまくいった。担当は小学生4年5年の算数と、中学2年数学と中学1年国語。

授業の終わりにはチェックシートを書くのだが、毎回できてないことがあって気になったので、メモを作っておいた。
また、指導が下手なのも気がかりだった。みんな上手なのに自分だけ、あまり言うことを見つけられない。思ってたように、わかりやすい指導が全然できてないのがショックだった。

上手な指導のポイントを考えて、実践するようにした。教師がいることのメリットとして、こなれた解釈、そのまま解法を実演できること、重要なものとそうでないものを強調できること、など。心理学の渡辺先生とか、塾の古谷先生?かな?を参考に、わかりやすいとは何か、と考えた。今日の大学の授業で言ってた、とっかかりをつくる、というのもわかりやすい授業の役割だと思う。


模範的に授業の展開ができて、満足した。今日の目標だったんだ。
指導も、わりとしっかりめに出来た。答え合わせをさせるだけで、どの問題もまともに解説できないくらいなら、どっしり構えてしっかり認知変化を生み出そうっていうのが、前回小学生三人、算数二人と国語一人を見たときの反省点だった。ちゃんと考え方を示し、解いてみせ、理解させて確かめて、復習もしてもらえた。

時計を持って行って、また時間の使い方をあらかじめ決めておいたのもよかった。動きやすく、無理なく宿題の指示をして終われた。


ここまでが、明るい面。塾長に話をされて、こうして欲しいっていう点と感想を。
こうして欲しいていうのは、まずは進路を確認すること。塾の方が、学校よりも学習が遅れていた場合には、なるべく遅れを取り戻したい。できれば先へ行きたいのだっていう話。まあこれは納得した。授業の最初に、学校の進路は聞くべきだと思った。

次には、生徒とのコミュニケーションの話。個別指導なので、生徒との距離はぐっとつめて欲しいと言われる。あなたの指導の方法は、学校的だと。生徒がたくさんいればそれでいいのかもしれないが、うちは個別指導なので、先生と生徒との距離の近さ、生徒それぞれに注意を向けていることをアピールしたいと。

うーん。先生と生徒という立場の違いはわかる、難しいとは思うが生徒とはなるべく積極的にコミュニケーションを取れっていう指示。


反論ひとつめ。仲良しやっちゃってる時点で、生徒と先生の距離は崩れるものじゃないのか。どちらか一方だと思う。先生なのか、友達なのか。
反論ふたつめ。あんたや同僚の思う、仲良しってどうなのかね。安っぽいよ。みんな同じ話の振り方してんじゃんか。意味あるのか。一人くらい、あんまり積極的じゃない人間がいてもいいんじゃないのか。コミュニケーションの取り方なんか、人柄から出てくるものなんだから、無理に合わせるものじゃないでしょう。興味もないくせに、形だけ話を広げるふりをして、乾いた笑いが響くほうが寒い。そんなだったら最初から、話しなければいいじゃん。
反論みっつめ。そもそも、こっちゃ学校の先生になったときに、うまく出来るようになるために色々試しに来てるんだ。遠目に設定した距離感のおかげで、生徒が静かに勉強に取り組むのなら、それはもうおめでたいことじゃないか。


反論ふたつめの続き。
ていうか、やっぱり根本的にはガキに興味なんてないのだから、接し方にしても制限されてくるよね。みんな部活どうなの?とかクラブどうなの?とか同じことばっかり聞いて、
そんな先生の安っぽい機嫌取り、本当に生徒はありがたいと思うに至るだろうか。塾長が言うには、塾へ来る人は基本的に勉強が苦手で、だから勉強だけじゃなくって仲良しになって勉強の苦痛を和らげよう、っていう話だったのだが、

そりゃ生徒の数が減るのは、塾長にとっちゃ死活問題だろうが俺にとっちゃ知ったこっちゃないよ。情に訴えて篭絡する計画、とりあえず楽しませてやめる確率を下げたいのはわかるけど、学校っていうシチュエーションで想定した場合、やめる人なんかどうだっていいよ。義務教育かもしれないし、本人の意思できてるかもしれないが、どちらにしても、やめるならやめたっていい。そんなことより、その日の授業をきちんと円滑に、豊かなものを提供出来ることのほうが重要だ。ちゃんとした授業やれてりゃ、生徒がやめることも減るだろうし。


子供なんて猿なんだ。同じになってはしゃいでたら、ボスが誰であるのか忘れてしまうじゃないか。ボスがボスたるのは、ボスにふさわしい行動、言動を行うからであって、そういった威圧なくして仲良くしながらもボスでいることなんて不可能だと思う。


たしかに塾は、生徒の数に収入を依存しているから確保に気を使うだろうが、こっちは公立の学校へ行くので、生徒の数自体はそんなん知らない。


塾の経営者であるのなら、そういう視点もわからなくもないが、どうだろうねー。俺はそんなん、無視してもいい。利害関係がないからね。必要かなー、生徒を楽しませること。それも、授業関係ない内容で。ただのご機嫌取りじゃないか。そんな打算でうまくいくはずない。
ちゃんと授業のプランを練ってあって、例えば必要な例示のときに、ちょっとおちゃらけた画像を使うとか、そんなんだと自然で臭くなくていいけれど、ご機嫌取りはさあ。中学生だって、機嫌とってきてるんだなあってくらいわかるよ。それなりの対応をしてくるだろうが、それなりの対応でしかないよ。

合う人間合わない人間っているでしょう。合わない人間が表面上あわせてたって、そんなん。
一律に、気さくでおしゃべりな人間しかないないっていうのが気持ち悪い。そしてどれもが作り物だっていうのが。人見知りは人見知りにしておいてくれ。人見知りは人見知り同士で仲良くなればいいじゃない。





反論はおわって、考慮。
でも出発点としては、勉強をしない生徒に勉強をなんとかやらせたいっていう方策。もしそれがうまく行ったなら、それが技術として身に付いたなら、学校で授業をするときにも役に立つのかもしれない。必要な技術かもしれない。
が、しかしだよ。仲良くやっていながら秩序を保つには、怒れないとだめでしょ。押しが強くないとだめだ。オレオレ系でないとだめだ。アホでないとダメだ。うぬぼれが強くなければ、できない。盛り上げ役でなければならない。人に偉そうでなければならない。つまり、頭が足りない人間でなければならない。

ちょっと怒ることがあっても、その人の気持ちとか環境とか、自分の反省とか考えてしまうと、単純に怒ったりとか、なんだろうなー。怒るっていうのは、全然ものを考えないで、感情のままに動く人じゃないとやらないんじゃないかな。あとは演技か。怒るにしても、そのときその場で瞬時に怒るなんてできない。考えて考えて、やっぱり良くないなってなったら怒るけれど、もうタイミングが違ってる。

まあ怒れる人と怒れない人がいるから、怒れない人なので普段から予防線を張るようなスタイルがあってるんじゃないかなって思うわけよ。ずっと敬語とかな。


おお!?ここは期待がかかるで!?いやそこは○○する空気やろ!!
こんな頭からっぽの人でないと、そういうアプローチは難しい。ぐいぐい来る。自信過剰。意地悪っぽい。ああ、この人苦手だなあっていう人でないと、仲良くしておいてけじめをつけさせるのは難しい。