塾講師をやる意味

塾講師やる意味

今は教えるの下手だから、改善を図りたい。
最初は見当違いの予想が立ってて、どうにもならんなあと思ったが、何とかならないかなと考えられる状況自体ありがたいものだ。


大きなメリットは、
問題点を意識できること
改善策を考える機会が与えられること
大学での授業からも、上手な授業を意識して、ポイントを盗むことができること。渡辺先生がわかりやすいのは、ここは重要ですとかそういう情報があるからじゃないかな。

最初は時間かかっても、うまい方法を探りたい。探りたくなくても、うまくいかないことがあると、ずっと考えてしまう質だけど。

たつきさんは上手に教えるのかな。あの先生よかったとか、あの先生がいいですと言われてるしなあ。羨ましいなあ。もし俺の授業が下手だったら、なんか情けなくて死にたくなる。普段は偉そうに考えを言ったりしてるのに、結局実力はないなんて寒い。がっかりされたら悲しい。

なかなかやってくれないんだって言ってたときも、時間は区切ってる?とか鋭いこと言ってきて、時間って苦手だからパニックになりそう。時間で区切るなんて、そんなこと出来ないよ!弱みを見られたくなくて、話を遮る。

はあ。出来ないにしても、やってみないと意味ないよな。先生やってるなら、時間は測って使ってしないといけないよな。時計読むの苦手なんだよな。けどそんなの言ってられないよなー。
うまい方法を早く見つけて、どっしりと構えたい。生徒に任せても大丈夫かな?時間になったら教えてって。
やったことないことに対して、苦手なことに対しての意識がとても低くて、泣き言に走りがちなんだよな。こういう、体育みたいな、臨機応変な対応が苦手だ。

失敗したらダメだと考えるから、必要以上に身が固まるのかな。今も頭が止まってる。自分の弱点を晒すようで、がっかりされてしまうようで、それがトラウマで身が固まる?へー。そういうことか。言葉にできたら、すこし落ち着いた。


まあ、怒られるしかないな。要求されて怒られて、それで何とか形をつけるしかないかな。運動音痴だし、仕方ないな。形がつけられるだけよしとして、もう覚悟を決めてしまおう。俺は、教えるの、下手だ。全然なってない。

話が上手かどうかに似てると思う、教えるの上手か下手か。話は、全然できなかったのが、まあまあ話せるところまで来たのだから、教えるのも上手くなるよ、そのうち。たつきさんはそう言ってくれると思う。


話に似てるってのは、ひとつには何が大切かわからないとダメだし、二つには分かってるだけではダメで、やりたいことが出来るかどうかはまた別問題だということだ。

話は、話をしたあとでああしたらよかったとか次はこうしようとか、すっごい考えた記憶がある。次はこうしようをたくさん考えて、ちゃんと実行して結果を見るのが重要だ。使えるなら使いまくって、熟練度を上げよう。なんだ、よかったじゃん。ベルセルクみたいで面白いの見つかった。はやく上手に戦えるようになりたい。