Tips for teaching

勉強できない人と確認テスト

ダブルスタンダードにするべきだと思う。

考え方からではなく、形から入るべきだと思う。考え方とか励ましの思考とかは、勉強をしている人が必要とするもので、勉強していない人が勉強するきっかけにはならない。だらしない習性の人たちだし。

テスト前は気前よく対策にする方がいい。



関係代名詞の説明をするのだが、まずは単語力がない。次に、それまでの文法が身についていない。関係代名詞を使うほかに、三人称のSだとか、主語に応じた動詞の使い分けなどが出来ない。
また、問題を解くための知識がなかったので、問題文のどこを見て、どういうことが聞かれているのかに慣れていない。我々なら主語を見て、分の意味を確かめて、最後に時制をみて空欄を埋めたりするが、そういう解き方が曖昧なままである。わからないままとき、わからないまま間違える。

これでは、よしんば関係代名詞の説明を飲み込めたとしても、確認テストにおいて、正解にはならない。

勉強ができない人たちは、正解か不正解かには執着する。過程を理解するのは苦手だが、結果は気になる困った人たちである。
我々なら、過程を踏まえたうえでの結果だと思うのだが、過程はややこしいから覚えられない。あまりそういった、積み立ての思考に馴染みがないのだろう。例えば学力についての説明をしていたのだが、どれだけ噛み砕いて説明しても、話が長いと聞き流し始め、最後に、とにかく勉強すればいいねやろ?!俺やるで!?てな具合だった。そしてやってこないのである。


関係代名詞が理解できないので、主語と動詞の使い分けについて説明することにした。I にはam 、you にはare 、それぞれ過去形がwas wewe で、一人だとam,is 2人以上だとare を使うと説明した。それで確認の問題を解いてもらったら、半分しか正解しなかった。
次は、説明したあとには、主語だけ言って、動詞を返事してもらう遊びをした。はじめはI にare を持ってきたりしていたが、繰り返すうちに、うまく答えられるようになって来た。我々はこういう使い分けには、パターンプラクティスが必要で、次第にミスが減ることを学習と捉えるが、勉強ができない人たちは、簡単なことにすぐに対応できない自分と捉え、無能なんだと解釈するようだ。
パターンプラクティスを繰り返しうまく言える、身についてきたのでもう一度同じ確認問題をしてもらった。これだけやったのだから、全問正解できると思うよと言った時、そこで間違えるのが俺やねん、めっちゃアホやからなと言ったのが印象的だ。自分の無能信仰が非常に強い。これはこれまでに書いてきた経緯で、問題に間違えることが多いからだろう。学習性無能。

なので、単元ごとに分かれてるから、例えば関係代名詞のテストなら、関係代名詞さえあってればすべて他のミスには目をつむろう。罰はつけるけど、採点はしない。関係代名詞だけで、点数を考える。すると、ばつのない綺麗な100点と、罰はあるものの100点の、汚い100点が出てくる。これで、出来る人との差を残しつつも、できない人らも100点が取れる。

100点が取れて、さあ次も頑張ろうとなるのなら苦労しない。100点が取れたら、安心して勉強しなくなるだろう。彼らは高得点の原因を、やはりまた能力に帰属する。よって、能力のある自分であるなら、勉強する必要はない、となるのである。馬鹿ではないから、100点は無理になるにしても、60点は取れるだろう、それなら留年もしないしそれでいいやとなる。まだまだ、自習という独立した学習スタイルは確立されない。ただ、これまでは勉強しても無駄、だったのが、やれば伸びる、もしかしたら無能ではないのかもしれない、くらいにはなるかもしれない。

点数が低い組みは、だらしない、どうしようもない人たちが多い。最低限のラインで、想定して動く。結果、少しづつ予想を下回り続け、成績は下がる。
テスト前に時間をかけないと点数は取れないと知っていても、面倒臭さが勝り、何とかなるだろう、みんなやってないしと結論する。

こういう人たちには、どうせ授業は学習ではなくてやり過ごすものでしかないのだから(英語において授業が学習になるのは、予習をしてる人だけだ)、テスト前は気前良く、テスト対策の時間としてしまえばいいと思う。放っておいては勉強しないことと、テスト前の勉強で点数は20点から80点くらいまでは変化することは知ってるのだから、無理に進めるよりも。スカスカで全て進めるより、密だが進路は足りてない、の方が得るものは多いだろう。

アホの習性学と対策