アイデア、思いつきの出し方 

スピーキングのクラスで、いっつも何かテーマを出し合って話すのだが、何回もやっててみんな出てこない。
大抵死んだ顔をして、ぼそぼそと話をしているのだが、中にはいつも元気な子というものがいるものである。毎回、比較的高い頻度で面白いテーマを出してきて、発表の時には少し笑いが起こる。いいなあと思う。バイタリティがある。

その彼女と組むことがあったのだが、言っても比較的ものを言う方の僕は、行きたい国はどこか、はどうだと言った。たいていやる気がないというか毎回のことなので、うーんいいんじゃないって流されて、いいわけではないがほかもないし、考えるのも面倒くさいしってなるのだが、納得いかないようで考え込んでいる。じゃあ、将来に住みたい国ってのはどう?って言って、それはなんだか、自分のどこにでもあるような、平坦な意見にちょっと近さを感じた、取り組みやすさを感じたというか、自分ならこれでいいやあってところで、もうひとひねりして意見出すから面白いんだなーって思った。

たいてい、意見を出すとき、ああこれはよくみんなが言ってる奴だなってのはよく思う。最初はそこでもいいけれど、そのあともう一回工夫をするととてもよくなる。


イデアを出せといえば、教科書で扱ったテーマにそって、やっぱりまた話し合いのテーマをつくって、それで話せと課題が出た。まずは教科書で扱った話を思い出すため、どんなことが書いてあったのか見る。それで中心的にはなされていることをまずは書き出してみる。今回は言語とコミュニケーションだった。
最初には、よくあるもので、教科書そのまんまとか、授業で何回も聞いたよってのをなぞってたけど、ひと通りそういうものを書いてみて、どうもつまらない。
じっと書き出したものをみていて、ピンとひらめいた。じゃあ、まったく理想通りにしようとしたら、それでどうなる?って思った。教科書などは、現状の問題点をいくつか書いて、まったく困ったものですねーって方向だが、じゃあまったく現実的制約がなくなれば、そうしたらぼくらはどうするだろうっていう方向で問題を建てた。こうすると、自分の意見が言いやすいうえに、なぜそう思うかの話も自然にすることになる。自由なものを言ってもいいし、教科書になぞって意見を言っても、それでもいい。英語で話すことが主目的だからな。


まずは平凡な意見しかでない。平凡な意見を足場にして、方向を変えたり組み合わせたりでちょっといい意見を出す。足場にするためには、紙に書き出すのがいい。残しておくと、それをゼロの地点にして考え事がしやすくなる。平凡な意見を出すのにも、思考を使っているのだ。




ライティングでも、ぴーんとひらめいた。共有地の悲劇を使って、そんなの火星なんか言っていいわけないじゃんっていうのは簡単だ。共有地の悲劇をはじめて読んだのは、未来世代への責任という論文だった。国語の授業で出てきていた。経済学をもとに、倫理や環境問題を論じた本なのだが、あれほどわかりやすいものはなかった。簡単に書く事なんか、ちょっと時間と手間を使えばできるんだと思っている人は多いだろうが、実際に時間と手間を使っている人は少ない。人よりすごいことを書いてやろうっていう努力よりも、知ってる人には当たり前なことを、知らない人にもわかりやすく伝える努力をするほうが、受けやすいんじゃないかな。すごいことを書いてやろうの人はたくさんいるしね。