愚痴と、正論を振りかざすこと

その場の愚痴と、理想論で返すことで話したけど、

全体から考えたらもっと違った捉え方があってもいいんじゃないかってのと、
そんなんじゃなくて、とりあえず話聞いておくれよ、

で立場が違うことがひとつある。それと、あの時は全体から考えようの立場とってたけど、相手が嫌だと言ってるのを、無理にでも理屈で考えて生産的、正しいのはこっちだよね?なんて言い張る気はない。

巡り巡って得られる全体の幸せより、とりあえず今得られる自分の幸せと自分の周りの人の幸せの方が大切だからだ。

それにー、愚痴ってんだよ頷いてたらいいんだよ、静かに話聞いてくれたらそれで整理がつくんだよって気持ちは、味わったことあるわかると思う。




たつきさん、こっちばっか話して、話終わったあとんーて考えてるけど、たつきさんが話する前にまたこっちが話してしまってたつきさんの考え聞く機会飛んでしまうけど、
別れた後に、あ、全然聞いてね〜〜もっと聞けばよかったって思う。のでノートでもいいし、気になったら直接聞くんですけど、ラインでもいいですけど、教えてどう思うか



あとたつきさん、そんな怒り方すんの?ていってた時、そんなことすんの?馬鹿だね〜って軽蔑した感じだった

何だっけか。怒る時の心理状態とかの話してた時。怒る人は相手も怒ってきてくれたら思い通りに怒れるとかそんな話してた時。


見下してるにしても、ほーうたつきさんの価値観ではここはそういう反応になるのかって思うくらいで、見下してる顔は珍しいから興味深いってくらいしか考えないし、
見下してなんかなかったよ!!てのなら別になんてことのない、変わった顔しとったよって話になるからいいんです。


純粋に、たつきさん変わった顔しとったよって言う報告。


見下してるんじゃないけど、うわーそんなんだったら嫌だな〜の顔とか、信じられな〜いの顔を、こっちが見下した顔とか軽蔑のトーンと解釈してるだけかもしれない。


言った時を覚えてたら、そのときの心理状態を教えてほしい。僕としては興味から、たつきさんにとっては、そういう感情の時、そんな表情になるのかってわかる。それを意識して変えるのも、別に変えないのもどっちも可愛らしい話だと思う。この可愛らしいは、ややこしいけど、人間味のあるっていうとこに愛着が湧くのかもしれない

価値観の違いだろうね。前言ってた、もらった地図を大事にするって話は可愛らしいけど、仏教的文脈で捉えたらものに執着する卑しい人間、という捉え方になる。同じ事柄も、どう捉えるのか、切り方によって印象は変わる。僕は保身を当然のもの、可愛らしいものと捉える。漫画でそこらへん読むのが好きだ。
能町みね子鳥居みゆき、稲垣中学卓球部、つげ義春、江古田ちゃん、福光しげゆき、たにぐちなつこ、まんしゅうきつこ、峰なゆか松本人志


あとちょっと引っかかったのは、自分が常識的だと言ったときの、違和感。日本という文脈の中で、自分は良識的だなどというと、それほどでもないよねとか、そういう人に限ってそうでもないんじゃないの、と連想する。一般的な意味においてとか、比較的とか、自分のうちでは常識的だとか、常識的であろうという意識がある点においては、とか至らないところもあるでしょうけど、を含んで言ってはじめてああ、この人は常識的だろうなって安心感が生まれる。