放送、長考

いやー、実際やるって考えてみると、退屈だよね!たぶん、初めは受けがいいというか、やることが大体整っている実況プレイなるものをやるんだろうけど、あんなんやってられへんわ!どうでもええし、ゲームのことなんか。見る分には違和感もなく、レジャーとして楽しんでみてられるけど、自分でやるとなったら、どんなコメントも白々しすぎて出来へんわ!

心情としては、何も言うことはない!てのが正直なところですわ。つまらんやつやねん。そこを乗り切って発言するのは、ほんとうに感受性豊かやったり、おもろいことゆうたるわ!て思って喋るわけでしょ。

けど、そもそもゲームすることすら面倒くさい。没頭していないゲームに没頭を装って、やりたくもないゲームをやる。そもそもゲームって時間かかる作業よ。そんな時間作りたくない。

じゃあ、どうするか。20才までにやな。潜むニーズを見つけて、そこにスポットをあてた目玉を持って来ればええねん。例えば、たくさん本をその頃には読んでる予定やから、本の紹介とか。で、そのあとグダグダ喋ったらええねん。

けど、それ俺いる?いらないっちゃーいらない。あとそのスタイルやと、本の内容以上に自分が面白くないと、反応冷たいでー。そういうとこ、すっげー冷徹やからな、あっこの人ら。けど、自分が喋る場を持つためっていう前提がある以上、面倒やけど自分が絡まな意味ないねんな。

自分がいて、かつ人が面白がる要素があって、自分が面白いかその目玉が面白いか、どちらかが面白いで毎回なんとかやっていける企画…。
企画立案者っていう立ち位置でもええけど。これは将来の就職でも意識したい能力やから、やることに不満はないけどな。自分が絡むっていう性格はだいぶよわなるけど。人が集まる形をいっぱい考えてやる人。読書オススメとか。読書のなんかを映像にして、そのあと思うことゆうてバイバイってやつ。

また別方向から言うと、デメリットはどうですか。時間がかかる。ネットではしゃいでもしゃーないってのもある。表現者っていう立場とるから、これまでの考えとはちょっと変わってくるけど、現実、自分が居るのは「ここ」でしかないやんか。ネット上のどっかで友達います、ゆうたって、そんな曖昧なやつとセックス出来ひんやんか。これからはネットの時代やし、やろうおもたら出来るんやろうけど、それは言葉のアヤですわ。遠くの友達より近くの他人、ゆうことですわ。ネットではしゃいでもなー。

でも、やるとしたら、自分が転んでも、タイトルが人を集めるスタイルってのは重要よ。うまく回るスタイルや。例えばさー、ゲームの実況は今、全部1から10まで見せて当たり前になってるやんか。それやとゲームの購買につながりにくいから、山場が5つあるうちの、2つだけ見せるのを当たり前にするとか。話の細かい流れ、整合性を求めるなら本編をお買い求めくださいって感じで。負担も減ってラクティンよ。最初に下手な流れの説明すればいい、冒頭で。本の紹介も、2番目に面白かったところを映像で見せるとか。


頭ええのをよしとする人らやから。理屈を通せば広がるのは早いかもしれない。

ネットの人らと仲良くなれたとして、2人で話できるようになったら密かに喋ったらそれでよろしいな。垂れ流す必要やらあらへん。

ネットは生身に遠い。行動するときホンマに力になるのは両手が届く範囲の人間だけっていう考えと、ネットは最近になって発達したホープで、ガシガシ活用した方が効率的っていう考え、どっちがええねやろか。あー、身近を固めつつ、ネットもやりゃええねんね。