悪口について

好きなだけ言ったらいいと思う。悪口と友達と、喜びとか。喜びを分かつ友達がいて、自分に自信をもてる集団があって、その中に悪口をいう人もいて。良いものも悪いものも、ぜんぶがあって調和というか。そういう何もかもを含めて、集団ってのは美しいなって思う。

人と仲良くして、自分を高い位置においたなら、自分を低く見ようとする勢力は必ず出てきて、影であーだこーだ言うし、華やかなところではしゃぐ人もあり、そのどちらも切なく心をかき乱す。美しいと思う。

黒と白の両方が入り乱れるこの集団模様が、たまらなく愛おしいと思う。


なんだ。説明的に言えば、悪口自体は辛いとしても、悪口を言わずにいられない人、状況があって、悪口をいわれたことを話しのタネとして面白い話しができることもあるだろう。単純に人前で目立つ面白さもあるが、なんだろう。どこまで行っても、快適であり続けることがないのがいいのか。


模様かな。模様として綺麗だなって思う。人間関係。自己利益しかないところも、それを隠そうとするいじらしさも、単純な優しさ、嫌なことを言う奴、頭がいいと思っている人、悪い人。普段、人なんて信用しませんって言ってる人も、ふいに優しい言葉をかけられたら、ころっと心が弾むのだ。何かを見抜いているつもりの人が転び、優しい人達は実はそんなに優しくない。やさしいを強制する状況、雰囲気があるところがいい。ホントはみんな真っ黒のくせして、自分を白いと信じきっている人もいる。人は黒だと信じてる人は、しかし、表面の白にすぐにほだされる。ほんと可愛いやつらだよ。


前は、悪口は無条件に反対して、なぜなら非生産的じゃないかって思ってたが、最大の目的はコミュニケーションをすること、リラックスをすることであるので別にいない人をどう使おうがいいな。ちゃんとリラックスできるならだよ。相手が困るような愚痴はよくない。相手と自分が盛り上がるための愚痴はまあいいかなと思う。自分がへこんだり、誰かが凹んだ分を、いつもうまく解消はできない。悪口をいうことでなんとかやってこうとしてるのか。まあ、悪口も楽しい話しもぜんぶ込み込みで面白いと思う。


前は悪口全廃派だったから、今は共存っていう見解に満足してるが、悪口を使いこなしてくると悪口についての理解が変わって、やっぱ悪口も使いようだなとか、そういうのが出てくるのはこのあとだと思う。共存を結論にするにはまだ早いんだぜ。