Twitterなんか

こっちで文章まとめちゃうと、Twitterでもっかい言うのがひどく億劫なんだ・・・。

自己評価をもらえるってもね、☆がつくかつかないかってだけじゃん?ついたところでねえ・・・。これは、いっぺんついた人間が言うことだから、ついても別にってのは、まだ頭で考えるだけってよりは、説得力というか信用にたる言葉だよ。まだ、ついてひとつふたつで、世の中には50とか100ことか付く人がいて、そういう人の立場にはまだ立ってないから、やることがまったく無意味だとは思わないけどさ。

けど、あっちの方が、書くときのテンションの高さは上かもしれない。こっちは完全にひとりでだもんな。誰が見てるわけでもなく。あっちはまだ、ひと目に触れる可能性が高いから、苦なく無意識に、最大限いい表現しようとあがくからなー。それがまた楽しいんだ。

こっちでだけ文章書いてっと、別に誰も見てねーってんで、すっげえテンションが落ち込んだり、もう文章なんかどうでもいいやあ、好きなだけ乱れちめえってなる。
そうなったとき、Twitter使えばいいじゃないかなあ。あっこの発言は、なんていうか、自分の存在を積み上げるような感覚がある。これまでもある程度クオリティを考えてtweetしてきたんだし、ちょっとはマシなもん書いておきたいなーっていう打算、野心が働く。


けどもけどだよ。無理にやることないな。フォロワーが多いのって、なんとなく自信だったり楽しかったりするけど、なんとなくなのは、なにかやろうって思った時に一緒になって動ける人ってのはいないからなんだけど、それが0になったとこでなあ。
0になったところで、人のtweetは見れるんだよなー。あー、けど。自分のtweetが評価してもらえる機能はなくなっちゃうか。そりゃちょっとつまんないけどー。


現実では上手に喋れない人、それか現実には空気の合う人がいない人が、発言の練習するのにいいよな。Twitter。ここで色々できたからって、そのまま現実の友達と上手に喋れるってのは勘違いだけど、
けど、風子のいる店の風子だって、喋れる人とちょっとづつ喋っていって、ちょっとだけ喋れるようになったあとで、また以前は喋れなかった人としゃべる勇気をだしてしゃべって。そうしてわりかし普通に喋れるようになった。


実際の会話では、発言のタイミングとか、相手の対応、その他おおまかに雰囲気とか言う奴、考慮するべきポイントがずいぶん多くなるので、Twitterだけでは対応できないけれど、それでもTwitterでの発言で練習できる要素で、実際の会話でも重要なポイントがあるので、練習になると思う。


それは、話題力というか。話題力っていうとあんまりぴったしじゃないけど、人の気をひく言い回しとか、一言が面白いとか、考えにしてもちゃんと伝わる文章を書くとか。

実際にいいか悪いかの判断はともかくとして、それでも利用者が多いから、ちょっとでも光るとこがあれば☆がつく。考え方に優れたとこがあってもそうだし、言い回しで面白いのかもしれないし、どこが面白いかはわからんが、それでも何か人に感じさせるものがあって☆がつくわけだ。これが、人との関係が希薄で自分がよくわからない、自分が不安定な人間にはけっこうなぐさめだったりすんだよな。


わあ、こんな俺だけど、頑張ってみた結果、案外大丈夫なのかもしれない。友達といるとき、面白いことなんて言えないけど、こんな僕だけど、頑張ったら面白がってくれる人もいるんだね涙 とそういう感動が・・・ある・・・?



人間、自分が何ができるか、自分は誰かっていう自己肯定から、自己肯定のためには取り柄が欲しいよね。その取り柄が身につきやすいのも、人との関わりの中でなのだ。だから、自分が不安な人はとりあえず、集団に属したらそれなりに立ち位置ってのが与えられて、立ち位置ができたらあとは、自分が気に入らんとこを修正する作業だから、なんとかなるんじゃないかな。

自分を把握するとき、自分はあの人から信頼されてる人間、友達はあの子っていう人間っていう規定の仕方ができるようになってくる。これが自分の自信につながるんだよな。あと、嫌なことがあっても、自分を全否定しなくてすむ。友達が一人、もしくは0の場合、自分が人から否定されることは自分を擁護するものがないから、自分全部が否定された気分になるけど、友達が一人でもいて、そいつと仲良く出来てるなら、たまたま今の人とは馬が合わなかっただけっていう言い訳が可能になるのだ。

自分という人間の、価値の保証書、友達。普段はこんなふうに考えてなくて、ただ一緒にいて楽しいってだけだけど、分析的に心理をみていくと、こういう働きをしているのがわかる。
自分の保証書があるから、ほかにもなにかやろう、この子と仲良くなりたいってとき、大きく出れるんだ。失敗してって、自分にはまだ手持ちがあるぞと。そういう強い態度に、貧弱な世相ですから、魅力だと思ってくれんだよ。


今不安体な世の中です。若者は何をしていいかわからない。その中でカッコとしたものを持つ存在は、文句なしに魅力だよ。合ってるかどうかは、いっそ関係ない。実は関係なくないけど、持続的な開発とかいう視点で見た場合やっぱり実力は不可欠だけど、それくらい自信のある存在っていうものは、今の時代うける。


なんつーのか。とぅーびーあんびしゃす?失敗の数だけ成功があるっていうし、

そうそう、東大生でスポーツ万能、お前らに勝ってるとこはあるのかっていう投げかけにたいして、失敗の数だけは負けてないよっていう自虐を披露しててわはははって感じっだったけど、たぶん失敗の数も負けてんだ。切ねえ。