意味を込める 血を通わせる 聞き取り能力を伸ばすには 英語が伸びる感覚

英語の勉強の方針、音読のとき、意味をなぞらえる。血のかよった文章にする。使えるようにするためには、そういう取り組み方が必要。最初は丁寧に。時間はかかるかもしれないが、成長してしまえば難なく行えるようになる。

子どもの学習を考える。最初は意味の理解もなく、文章を諳んじて自分の中に文章のストックを作る。次第に意味をつけていくが、並行して何度も発音、使用する。高い使用頻度と、間違いの指摘を経て、知識が次々に無意識に沈み、定着しつつ正確さも高まってゆく。

どんな取り組み方でもいいよ。とにかく、英語を使う。覚えるだけでも、意味を取りながらでも、とにかく蓄積するものを作る。
英語に限らず、聞き取れるものってのは見知ったものだけなんじゃないかっちう仮説だから、丸覚えでもためになる。例えば早口で熟語を言われた場合、覚えてないとイチイチ覚える必要があるが、覚えてると意味がスキップされて頭の中に入る。熟語の処理分、頭に余裕が生まれて文章聞き取り能力が上がる。丸覚えもためになる。ていうか必要。


初めて知る熟語、久しぶりに見た熟語、take ~ for granted とか、こういうの暗唱するとき、ゴツゴツした感覚がある。使い慣れてない。これを反復によって、スムーズに出せるようにする。それが英語の学習。意味につなぎあわせるように、自然に口から出るように。ゆくゆくは使えるように。ハンターハンターの、念の練習みたいなもんよな。基礎練習、反復練習を修めたから、応用の練習が飛躍的に進む。ハンターハンター、念のシステム、やってみたかったやろ?似たようなもんあるやんか。おお、難しいけどなんとか凝が出来た!難しい構文を使うのは凝を使うようなものかもしれない。


そういう生きた知識を身につける、という目標があれば、英語漬けの音読は単調なものにはならない。自分の力がそのまま広がっていくような気がして楽しくなる。意味を持って音読する。自分が話せるように音読する。ちっとも、何も無駄なものがない。
こういう観点に立てるきっかけになったのは、瞬間英作文の、著者自身の経験談のとこの、中学文法の基礎を完璧に習熟してしまえば、そのあとあらゆる文章の吸収は容易になった。なぜなら自分の中に、すでに英語で話すための回路が出来ているからだ。英語をすでに使えるものとしてあって、あらゆる応用が無意識にできるので、定着率が半端じゃなく上がる。いいなー、そういう学習だと楽しいだろうなって思って、そこを目標に考えてやってるうちに、なんとなく感覚を掴んだ。これはいいぞ。伸びそうだ。