いい教師になるために

なんか、人間関係とかを自分の責任に感じてしまう、生徒の成長の悪い点を自分の責任に感じてしまって辛いとか言うてるけど、そこらへんの線引きはシビアやから、あんまり負担にはならんと思うで。もう高校生やろ?好き勝手生きよるで。ここらへん、人間哲学っていうか、捉え方が冷たいので楽チン。

学生として
休憩を取ってくれるとありがたい。予備校の小話。
最初に概要を説明して、すぐに問題を解いて定着を図る。
なんで必要なのか、どのように使うのかを説明してくれる。
問題を解くための時間が余ると、退屈に感じる。少ないほうがいい。
最初に、そもそも勉強って何かを、生徒に飲み込ませたら、いいんちゃうかな。ここの知識を言う前に、勉強で伸びる方法を大まかに伝える。
自分がやったこと、テストで点数をとるために自分がやることを、そのまんま伝えたらええんちゃうかな。テストでやることは、テスト範囲を全部覚えきることやで。
なんか、とんちんかんな暗記してくるやつもおったなあ。英語で、なんでそんなわけのわからん覚え方をするの?って。was busy とか、全然なんの意味もないまとまりで覚えてた。これは、もっと前段階の知識が抜けまくっとるな。
勉強をする必要性から話ができるといいと思う。なんで勉強すんのか理解せんまま、勉強なんかやったって。自分は勉強をある程度したんやから、なんでやったの?うまみは何?勉強できると嬉しい?ってなのを身近に納得させるといい。。

サメに腕を食われる英文を読んでて、主人公は冷静に対応したって書いてあったけど、先生が、これほんまかな。私やったら泣いてしまいますねってゆうてて、そういう先生の素直な、人間的な感想が挟まると面白く授業が聞けるな。

いい先生か悪い先生かは、結局人間関係と一緒で、負担になるかならないか、雰囲気がいいかわるいか、じゃないのか。熱意とか理想とか、そこらへんを押し付けてくる友達って面倒。別にそこ目指してへんしって思う。ためになる人間が面白い。

前提として、なんでこれを説明するのか。目的を説明する。どういうときに使うのかとかも。必要やなって思った知識は身につくよ。ちゃんと噛み砕いた説明もあれば。
教えた知識を、この先どういう風に使うかとかも、頭に入ってると整理しやすいと思う。いま説明してる文法は、期末のテストでこういう風に出てきて覚えてると得。さらに将来受験があって、文法っていう項目立てがされてあったらその中で出るかもねって。

自分の、問題を解くときの思考回路を、そのまま伝えられたらいいんじゃないか。自分の中の、考える基盤みたいなもの、基礎知識も説明せなあかんけど。

授業やって、よく飲み込めてる生徒、それなりに飲み込めてる生徒、飲み込めない生徒、一人づつ名指しで呼んで、感想を聞いたらええんちゃうかな。先生のためになる意見が出たら、内申点色つけたるで、とかゆうてな。

仕事はできる限り効率化して、分業して無駄をなくして、生徒にも積極的に動かせて、プリント配る時とか丸付けなんかはさせたらええ。んで、空いた時間を、授業の質を高めるとか、生徒のケアとか、とにかく管理とか質の向上にあてたい。考え方を進歩させるとか、工夫の時間をどうにか確保したい。自分のやってることを見つめ直す時間、無駄を探すとか。そういう創意工夫をすること、その結果が評価として返ってくることが、楽しいんじゃないか。これぞ生活のアート。俺、自己満足できるように生きたいねん。


授業がわかりやすいとか、取り柄が、確実な取り柄がひとつあればほかはなんとか相殺される。
何かをやろうがやるまいが、給料が変わらないので、だったら出来るだけ手を抜いちまえっていうのが多くの考え方らしいが、それやっちまうと楽しくないことは目に見えているので、そういうことはしないから多くの人に問題となるモチベーションは、自分にとってはそう大きい問題ではないと思う。自分で勝手に、必要でもないのに勉強するような人間やしな、僕。自分を高めるのが好きとかいう、自己啓発

やる気ないっすの先にあるのは、ただただ退屈。中学校のときにそれをもう知った。んで、充実のためには必死になることってのを、神戸在住とか読んでて感じた。必死なったら、結果に涙も出るしな。嬉しいにしても悲しいにしても、気持ちが大きく動くってのは充実やんか。手抜いたら、出来事と自分との間に距離ができる。ええよ失敗でも、だって必死でやってないし、と。給料なんか関係ない。人生楽しむために必死ならなあかんねん。


そういうふうな、人生楽しむためにっていう考え方を組み立てるのが好きでしょ。前はいかに勉強で効率よく伸びるかを考えた。考えの組み立て、分析、分解が好き。
生き方を堂々と語れる?いや、語るとうざいか、でも生き方について真剣に考えられる、また優れた生き方が求められて評価されやすいのは、学校じゃないかなあ。かっこいい生き方には夢と魅力があるよ。人生の色んなことをどうやって整理しているのか、優れた整理の仕方を知れたら面白い。
社会に出ちゃうと、自分の理想がどのようなものかより、自分っていう立場をどうやって有利にするかとか、なんやろな、状況はもうカチッと決まっちゃってるから、決まった状況の中でどうやってうまいことしのいでいくかっていう考え方が考える中心になる。
どれだけ優れた考え方であろうと、お金にならんかったらポイや。お金を中心、自分の保身を中心に考えて、そこに対して優れてるかどうか。汚い大人や。夢や理想だけではなくなってしまう。
んで、例えばこうやったらええのになって思ったことも、すぐには実行できへんで。倫理的、精神衛生的にこうすることで人として伸び伸び生きれる、そうすることで生産性がアップする可能性もあるよっていうレベルやったら、労働者から見てプラスが大きいけど、経営者から見たら他人の苦労やからな。知るかいってなる。へばったやつは落ちこぼれ、交換時。それより目先の金もってこんかいって。

そこらへんのやりくり、教師やったら好きにできますがな。教師ひとりひとりの負担は大きいらしいけど、その負担の処理の仕方は個々人に任されてる。ここが美味しい。うまいことやったら、相当うまいことやったらやけど。


先生は、やっぱり空気が一番重要ちゃうかな。高校のときの日本史の先生は、必要最低限びしっと厳しく授業してくれて、授業で得るものっていう純度で見たら質高いやろうけど、やっぱりしんどい。俺、日本史専攻じゃなかったから、なおさらそうやったんやろか。受験で使う身からすれば、それがありがたかったんやろか。

理想はやっぱり、あの高校のときの英語教師。それか予備校のときの先生の大半。予備校のときは、生き方とか考え方とかも提示してくれたし、何より授業が頭一つ抜けてうまかった。こりゃ伸びるよ、よく整理されてるなーて感心した。感動すらさせられたな。あれはええ経験やった。先生なってからでも、予備校の夏期講習とかに応募して、授業のやり方を勉強しにいってもええんとちゃうか、くらいにさえ思う。ちょっと奇抜やけど、必要なことちゃうか。そこらへんの常識は無視していい。必要なことを考えて、必要なんやったらみんながやらんことでもやったらええと思う。