仲のいい夫婦でいるために

恋人っていう高望みをするから、失望することが多くなって喧嘩になる。恋人っていう設定でなければ満足できた彼女、彼氏の行動に、高望みをして自爆。
恋人である状態を当たり前に持って行くから、そしてその恋人っていう条件はとても高いものだから、たいていのカップルはお互いに失望し始める。友達としては100点だったのに、恋人に求める条件は1000点になってしまうから、魅力が10分の1しかないと考えてしまう。
理想の恋人を目指すのが間違いなんだ。友達だけど、恋人っぽいこともできると考えればいいのだ。恋人であることを前提にしてしまうから、高望みする。あくまで他人であることを第一に考えて行動することが、いらぬ不満を減らす第一歩だと思う。
他人であることを前提とした場合、相手がそこまで歩み寄ってきてくれたことの何と奇跡的なことか。彼女彼氏がいることを、当たり前にしてしまうからマンネリ化するのでは?


問題はお互いに話し合うことが必要だ。たいていのカップルは、楽しむための会話しか持たない。しかし楽しむための会話だけでは片手落ちなのだ。経験の場が足りないから、やがて時間にやられる。楽しむための場に加えて、苦味を共有、解決する場を定期的に持つべきだろう。
ここで行うのは、あくまで解決である。不満をぶちまける場にあらず。相手のあらを探す場にもあらず。自分の不満を粛々と述べ、考えられる解決法も添えられているといい。
ここで注意が必要なのは、あくまでお互いに他人であるということだ。他人である以上、あくまで立場はフラットでありたい。また、恋人同士であるという点で相手に負担をかけることは、いつか別れたときに自分の魅力を減らすことになるので、よくよく考えて要求はするべきだろう。
楽しむための会話だけでなく、できるなら触れたくないところでの会話を共にしてきた二人ならば、絆や愛着はとても強いものになっているのではないか。問題に対処する力も伸びているかもしれない。


色々考えるのだが、これはあくまで計画である。優れた理論であっても、理論からこぼれる感情はいつもあるものである。理論が通っているのだからお前がなんとかしろ、という態度はよくない。そもそも、感情をうまく扱うために理論である。最も優先されるべきは感情である。
加えてこれは、あくまで自分が考える方策に過ぎない。すぐれた考えだとして同意のもとに共有するのはいいけれど、やはり相手の気持ちが第一である。特別案がないなら従え、などとしてしまっては窮屈なだけになる。


あんまり決まりを作っても、窮屈なだけかもしれん。それに、自分の考えをすべてオープンにしてしまっては、恋愛の楽しみがなくなるかも?自分の内なる考えにしておくべきか。
それでもいいけど、問題は問題だ。解決フェイズと楽しみフェイズは別物と考えて、楽しむときは恋愛を楽しみ、微妙な感情の読み合いなんかをしたらいいよ。それを楽しむ土台として、問題解決の時間はあるのだ。土台というか、補修作業だな。時間が経てばもろくなるんだから、作業は必然。


家族で会話によって解決をする姿勢が当たり前のものになったら、その家庭の子供も話し上手で、しかも会話によって自分の存在証明を得て、魅力的な人間たちになることが期待される。表現の上手な、実力のある人間だ。
いい面といやな面が、7:3くらいだったら満足だろ。比率を保つために、我々の法律を作っていくのだ。ユートピアを探る。7:3のユートピア。完璧ではないけど、それでも好きな空間。


日本人の問題解決は真面目すぎるからな〜。気楽にやったら、不謹慎だ!みたいな発想。けど、問題解決にはクリエイティビティが求められるよ。パイレーツオブカリビアンの、メイキングムービーみたいに外人さんみたいな話し合いの仕方ができればいいのに。
日本式でやったら、かたっくるしすぎて、その時間のために全体がつまんなくなったりしやしないか。
問題解決に限らないか。認識を共有するための場所。楽しむための企画になってもいいよ。疑問を解消する場所でもあって欲しい。愛を確かめる場所になることもあるだろう、あれはそういうことだったのかと。