特別活動の研究 グループで意見をいうのは、大変  議論が上手、下手。

最近、議論することが多いから、議論うまくなってきたよね。
自分の理解力に自信がなかったけれど、大体人の意見の出し方を見てきて、だいぶ意見を拾うことに慣れてきた。むしろ今日は、会話とか発言の意味を清少納言さんに教えたりもした。


主張をしたが、わからないと言われる。自分のまわりにいた人にわからないかと聞いてみたところ、わかりますよって言う。あの出目金が言ってた。けど相手のリーダーはわかってないみたい。相手のリーダーは、私はそのように定義しておりません、的はずれなことを言わないでください、とかちょっとあちゃーって人だった。そもそも論題に関係ないですよね?て言ってくる。そちらの勝手な定義でしかない、こちらはそうは一言も言ってないって言って反論してくるタイプ。エンターテイナーを気取ったところもあるのが鼻につく。エンターテイナーは、まともに議論が出来てることが前提だ。すみません、何度も出てきちゃってねっていうのは、ちょっと面白かったけれど。
自分のまわりの人は、俺の言うことわかったって言ったけど、向こうのチームに、誰か僕の意見が分かる人はリーダーに教えてあげてくださいって言ったら、リーダーみんなわかんないって言ってますってしたり顔。あと、教育は注入だと思うんですけどって言ったら、教育は注入じゃありません!て断言して勝った・・・!みたいな態度取るのは何なんだ。なぜそう言えるのか、説明がまだじゃないか・・・!


わからないと言われたので、さらに丁寧に話すのだが、やっぱりよくわかってもらえない。そこで先生は、一言で言うならこうだと言った。わからない場合、短くすることでわかりやすくする方法もあったのだと気づいた。

傍から意見をいうのは容易い。それで頭がいい気になっちゃいけない。

言い直し、意見の言い直しといえば、言い直してる最中に新しい例示とかを持ってくるのはよくないな。ますます焦点がぼやける。今回の自分たちチームのリーダー、哲学科?の彼は定義にこだわる人なのだが、あんまりうまくないな。
丁寧なのでプロットをつくるのは任せた。議論開始前、じゃあこれが自分たちの定めた定義なので、これにそって議論をお願いしますと言ってたのが印象的。
あの人の理想通りに動くと、こういうふうな考えができて、こういう流れにそって意見を言うのが一番なのかあって思った。わかりやすかった、思ったより出来はよかった。
定義定義と言っていたので、もっとガチャガチャした血の通わない主張になるのかと思ったけど、定義を並べ立てて、結論としてこうだって、シンプルな形でわかりやすかった。意外。あの人の理想は、こういう主張の形かって思った。


グループでの意見交換自体には参加しなかった。自分の中で意見はあるので、それに時間も惜しいので別に参加しないでもいいかと思ってた。もひとつ、グループ内での流れが、自分の発想とは違ってて面倒臭い。え?そんな意見でいいの?てのが拍手でまあまあいいんじゃない、みたいに受け止められる。
けれど、グループに参加しないと発言権がないことがわかった。グループの中で、意見を全員の前で言うべき人というべきでない人ってのが、おおよそ形作られる。これのときに参加者登録されてない人が意見を言っても、そもそも相手にしてもらえない雰囲気があるので言うこと自体難しいけど、なんだろ。小難しいことを言うと流されやすい雰囲気というか。ちょっとお前はいいからっていう感じ?
事実、グループの考えの流れを踏まえていない発言はしがちなので、遠慮してしまう。

まず、グループに参加していた人達は、大体意見の出し方が同じというか、意見の出し方の流れみたいなものを形成してしまってる。意見を出し合って結論をつくるまでのグループに、自分が入れない。自分と前からのグループでは、了解事項が違ってきてる。
グループ内であらかじめ、ポジショニングがなされてしまうのだ。ここのポジショニングにはぐれると、発言権はない。ちょっと意見がいいにくい。


次に、グループ内での発言は、グループ内で決めた定義とかそういうのにそったものでなければならない。だから、自分の思いつきをそのまま言えない。だって、グループの定義を知らないし。そこでずれてしまうと、せっかくの意見も、雰囲気をわきまえない、不届きものの意見になってしまう。結果、討論の中で話すことはできず、そのあとの自由な感想の中で意見をいうに留まった。

自分の意見と話しは、大体場をどよどよとさせる。笑い声も起きる。たまに先生の受けもいいけれど、今回の先生には、どういう評価だったのだろうか。あんまり高得点ではないような気がする。
自分が話すときは、盛り上がることが多いから、先生もちょっと様子を見る感じになるのだけど、特別活動の先生は、要するにこういうことを言ってるんです、と説明下手やな、話すの下手やなって感じの対応。よくある一意見としてしか見てもらえなかった。ちぇー。
あの先生自体が、定義と外れてます型の人間なのかもしれないぞ。定義がそんなに大事かね。それよりも相手の主張を汲み取る姿勢を。勝つことが目的じゃなくて、正しい考えを探ることが目的なんだがね。議論の勝ち負けなんか、小さい話だよ。意味のない話だ。

議論のメリット
・相手に伝わる形で意見をだす練習
・優れた考えを探る、自分の中から、人の考えに触れて
・人の主張を拾う練習、相手の理屈を崩す練習


グループで意見を言うメリットはあるのか。なんだか、重箱の隅をつつくような反論が続くんだよな。これは、グループで分けてしまって、勝ち負けを競うから、都合の悪いことは定義が曖昧とかいって逃げてるんじゃないのか。

あと、不必要に人を煽るのはやめよう。言ってる意味がちょっとわからないですね、で笑いを取ろうとするのはやめろ。
それと、相手の意見を崩すためには、まず相手の主張をうまく掴んで、そこから崩さないとダメだ。みんな、自分の側の意見を言うばっかりだ。

あなたの意見はこうですね?そしてこうですね?しかしここが間違っておるのです、とそういう話し方が必要だ。
こっちの意見はこうなんだ、そっちの意見とは定義が違ってる、では議論になっちゃいないのでは。

現状維持は、愛国心教育を肯定する意味があるのではというのがYESの側の意見。違う、現状以上の愛国心教育を行うことを愛国心教育だと定義するのがこちらの主張だとするのがNOの側。わかった、どっちもわかったよ。
わかったはずだが、どうやら両チームへんな感じなんだ。YESチームに聞いてみると、でもNOの側の意見はYESって言ってるようなものだよなって。そうとも言えるけど、NOの側の定義に従ってあげればいいじゃん。向こうはそういうふうに決めてるんだから、相手の主張を覆すためには、相手の主張の中で矛盾を見つけなきゃならないんだから。


教育ってのは注入じゃないかっていう反論は、相手の根底を崩すいい意見だったと思うんだけどな。言ってる意味がわかりませーんで曖昧のまま流されてしまった。言ってる意味がわからないのなら、わかるように説明しなきゃいけないんだけどな。


一言で言うなら、形にこだわらず、意味のある議論をしようよって話だよ。