最高の仲間

最高の仲間

夢を見た。中学生のときの、弱い自分と雄々しく生きる友達達との話し。俺は男友達といて、女の子は女の子で何人かいて、可愛いのは誰だとか、誰と誰が付き合っていただとか、馬鹿騒ぎとかしている。俺はどこか一歩引いたところで見ている。とてもそんな風に、強く楽しくは振る舞えないからだ。けれど、自分が参加者ではないけれど、一番興奮し、憧れ、気持ちを強く動かしていたのは俺ではなかったか。

すごい!かっこいい!そんなことが出来るようになってみたい!

自分が大したことなかったから、簡単に人に憧れることが出来た。それに、世界は単純だった。今見てみれば、低いレベルではしゃぐ人達でしかなくなってしまうが、当事者としては圧倒的な支配力として写った。永遠に続く繁栄、絶対の勝利者。決して埋まらない差。

今はもう、それなりに自分一人で戦える。戦えるようになって、目が肥えたし、はしゃいでいても見た目ほど華やかでない心情も知った。強く楽しく見えたあの人達も、こんな気分でしかなかったのか。

傍目に彼らは、なんの不満もなさそうに見えた。心の底から楽しんでいるように見えた。けれどそれは、想像でしかなく、実は存在しないものだったのか。

最高の仲間がいるという想定で、心の底から笑える人を探すのは意味あるのかな。求めるものはないのでは?例えば谷口奈津子さんとちぃちとしんすけと他その他面白いと思う人と話したとして、本当に手放しで面白いとだけ思うのかな。芸人さんが例えば会話のプロだとして、あの人らだって苦労の方が大きいよね。

いかにいいものを探すかよりも、いかに今を楽しむかなのかも。それに、楽しいものが集まらない今の自分の状態が、自分の身の丈にあった境遇なのでは?人が欲しいなら実力を伸ばせ。友達を得るのも実力だ。


ただ、尊敬出来る人の存在は、成長率に大きく影響する。欲しいは欲しい。色々声をかけて話をしなければならないな。イメージはオーシャンズの仲間集め。それか、価値に気づけない自分で敷かない可能性。何も本気でやったことのないやつが、人の本気や凄さに気づけないという話し。


浮気はしないっていうのは、幸福になるための決め事でしょう。決め事ってのはすべて幸せをつかむためのものだ。けれど、相手を拘束したところでどうなるのだろう。それよりは協力関係、提携関係と見なして、その場その場で優れた関係を作る方が個人の価値は上がりやすいのでは?価値の推し量りで負けたなら、敗者は潔く身を引くべきなのだ。恨むのなら魅力のない自分を恨む。