悲しい人生 どれだけやっても 償いみたい

連絡先を聞こうとして断られて、辛いから妄想。聞きにいった時、周りに友達がたくさんいて、断られてもすぐに友達の輪に入っていくようなのだったら、そう凹まなかったのかな。けれどこれは弱っちい気がして嫌だ。過度な馴れ合いも嫌だ。そもそもよその場の盛り上がりとかを利用して声をかけるのも気色悪い。
連想したのが、友達がいないが優勝した人と、負けたけど友達がたくさんですぐに駆けつけて声をかけてくれるパターン。優勝者は、優勝したのは俺だぞ!?てなる。これが友達がいないってことだ。人望は大切だ。

ただ、この努力をしてるのに報われない友達のいない人は、実際には努力してない友達のいない人の悲観的なビジョンなのでどうでもいい。実際は実力さえあれば、人は集まるだろう。

例えば金を稼いでも、それで女を抱き人から尊敬を集めても、出発点が、子供の頃に受けた苦痛に対するあてつけだったら、どこまで行こうと悲しいままだな。悲しい人生だ。
でも、原動力ってこれしかないんじゃない?事実自分は、昔に今の俺が嫌だと思って行動した。

中学時代、華々しい組と地味組に別れる。自分は地味組だった。華々しい組が羨ましい、みじめだった自分への償い、
今何をしてようと、見てるのは過去なのだ。どれだけごまかしても、過去は変わらない。満たされることはない。

これもよくある展開だ。でも、満たされないのかな。実際は、相手の女の子もそういうとこあるから、告白することで見たされるんじゃないかな。昔こんなんで、辛かったんだよって言って、そう、でもいいじゃんって言ってもらえる。
そんなに、気にはしてないけどね、改めて書くほどには。
ただ、やっぱりそういう苦悩は、動かないままで欲しがってる人にしか当てはまらないと思うってことだよ。現実はそれほどきれいに、よくもひどくもならない。まあまあが続く。まあまあいいか、まあまあ悪いか。中庸なので、ドラマにはなりにくい。
所詮、頭の中で妄想をこねくり回してるだけなんだ。だってそんな悩みの状況は存在しないんだから。
出来ない理由をいろいろ並べるけれど、どれも実は理由でなくて、ただ動いてないだけってのが正解なのでは。



読み直して、見てるのは過去ってのも、現実が楽しければあっさり忘れちゃうかもね。どれだけ強く心に刻もうと、忘れる。もうひとつ、忘れてしまって今を楽しむのが正解なのかも。タイガーと呼ばれた子にもそんなことが書いてあった。