円滑に 自分の価値を確信していたなら

自分の価値をきちんと知っていれば、変に力を誇示する必要はなくなるし、自信があれば人間関係もうまく回るだろう。

共同生活の場で、自分の自由を勘違いしてはしゃぐくそ野郎。これは家庭がただ、押さえつけの役割しか果たしてなかったからか。役割は与えずに、ただルール、義務だけを課した。
自分のために、必要最低限のことをするように教育されていれば、偏った人間、気の利かない人間は少なくなるだろう。家庭での役割の中で、円滑に過ごす術も学ぶ。

人のこと考えろよはしかし、自分のことを考えろよだから、いつも考えなくてはいけないわけではないが。あくまで自分の幸せがすべてに先立って重要だ。

感謝し感謝される構造を作ることが大切ではないか。家族、グループの一員としての自覚、責任と権利。

言い聞かせるよりも、そう動く環境を作るのが大切では?価値を植え付ける、決まりを作る。

自転車が歩道を走るのが気に食わないとして、自転車に走るなというのは意味のない話だ。走らないでいられるのならよそへいく。誰も争いは好まない。だからこの場合、道を用意するのが比較的正しいのではないか。