放送 企画 持続可能、日本のタレントのブーム

ネタがあるなしにかかわらず、クオリティを保とうと思うなら、間を大きく取るべきだと思う。英語長文読解ってのは、個人的に毎日やりたいものだから性格が違うと思うが、番組とかの場合だと。

月に一回くらいがいいと思う。短絡的には準備期間っていう面でもそうだし、長期的に見ると、吐き出してばっかりだとネタが尽きるのは目に見えてるじゃん。頭脳労働であればあるほど、ゆとりを持った生活が大事だと思う。
たくさんの本を読み、映画を見、人と話し。そういった時間の上澄みをすくうっていうか、そういったもんでそ、娯楽って。結晶っていうか。そういったスタイルが持続可能なスタイルだと思う。

ネタがあるなしにかかわらず時間は取る。時間はいくらあっても困らない。ネタをストックする期間というとらえ方、ネタをさらに練る期間と言ってもいい。とにかく、バコバコ勢いですべて吐き出すのはよろしくない。

自分に10のネタがあったとして、1出したなら、2また作れるまでは休みにした方がいい。1を出したことによって、たとえばトーク番組とかに出させてもらえるようになって、その経験によってまた2出来たなら、自分の1を出して、っていうふうな循環を作れればいいんやけど。

10をドポポポって一気にださして、もうないの?さようなら!ってのは、あんまりだと思う。


今の感覚なら、10しか出せないの?クズめ。所詮は一発屋だな。見ろ!本物は100も200も出してるぞ!て感じだと思うけど、10出せたことを褒める文化であればいいのに。あ!今ンテレビは、持ってるお金を回すのが下手だ!すぐ全部スッチャウ。もっと使い所を選べえ!アホ!


英語長文読解は、更新は早いけど、クオリティ的なアタリは少なくなる。そういう思考回路を当たり前のものとして欲しい。アタリがないなら、練っているアイディアの告知の場にしたり、趣の違う考えを発表する場としてとらえたり、何とでも価値は生まれる。何も思い浮かびません!て嘆くのも、アリだと思う。そこで人からアイディアもらえたりね。

そう、人!休みと共に、人と協力ってのも重要だ。ひとりの人間では、どうしたって限界はあるから。